Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

思い通りに行かない日

2011-12-26 23:02:26 | Weblog

 年末を迎え、毎日が計画通りいかないので焦る。今日は網戸や庭の清掃を行う予定を立てていたので、早めに起き犬の散歩に出かけた。風が強い寒い日であったが、それでも帰ったら網戸の清掃は行おうと思っていた。帰って郵便受けを見ると、新聞と一緒に葉書があった。その葉書はパソコンで打った長い文章で、現職時代の大先輩YAさんの家族からのものであった。文面は、父が12月20日に89歳で亡母のもとに旅立ちましたから始まり、父親の過去10年ぐらいの生き様が書かれていた。

 死亡の情報は入っていなかったので、まさかとの思いであった。確か今年の4月ごろ家を訪問したことがあったが、ベットに寝ていて、体調を崩していたが、キット元気になると思っていた。直ぐ家族に電話したが留守であった。その後も電話したがいなかった。夕方6時近く再度電話すると、男の方が出て、「父は20日の亡くなり23日の葬儀を行いました。新聞に掲載しましたが、鉄道OB会に連絡をしないで、内輪だけで行いました」こんな話であった。弔辞も弔電も打てなかったことを詫び、27日午前10時ごろ線香をあげに行きたいことを伝えた。私は極力OBで亡くなった方に弔辞を行おうと思っている。しかし他系統の人は情報も入らず、そのようなことが出来ないでいた。このYAさんは知っていたしそれが出来る人であった。残念である。

 午前中はそのことに費やした。今から庭や網戸の掃除は時間的に困難と考え、明日以降にすることにした。そこで150枚ほどある年賀状の添書きをすることにした。しかし絵手紙の絵具が表側に滲んでいて汚くなっていたので、それも消しゴムで薄くなるようにした。ポストに入れたのは午後4時を回っていた。その後は12月28日に発送する「〇〇支部だより」の訃報の追加や写真の張替え等を、担当しているOさんにお願いに行ったり、瀬名の妹に頼まれたものを届けたりしていると午後7時を回っていた。

 今日予定していたことは出来なかった。今ブログを書いている、この部屋も整理が出来てなく雑然としている。しかし頭がパニックでおかしくなるような忙しさではない。正月を迎える前に何とかしようと考えたことが、うまくいかなかっただけである。割り切れば何とかなるとの思いになった。母も病後の経過も安定しているようだし、妻も肺炎の後はほぼ普通の生活に戻った。それだけで十分ではないか。