Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

訃報が続く

2011-12-21 21:16:29 | Weblog

 昨日OB会の支部によると、ASAさんが10月に亡くなっていたことを聞かされた。ASAさんは私が沼津にいたときの上司であり、国鉄を退職してからは地元の町内会長や老人会長をした名士であった。90歳で他界するまで、元気でいたと聞いていた。それも亡くなっていたことを知ったのは、今年から「蒸気機関車の写真が入ったカレンダー」を支部の全会員に配ることになったが、地区の連絡員がカレンダーを渡そうと訪ねると奥さんから亡くなったことを聞かされたとのことであった。その時奥さんから「静岡にいる知っている人はすでに亡くなっていたので、近所だけに知らせて、鉄道関係者には知らせなかった」とのことであった。

 今日午前10時ごろ電話で「〇〇支部の支部長ですが、ご主人が既に亡くなられたことを知りましたが、誠にご愁傷様のことです。今日まで知らないままでいたことをお詫びします。今から線香を上げに行きたいと思いますが如何でしょうか」と言うと、奥さんは私を知っていて「OB会に連絡もしないですみませんでした。午前中はいますから」とのことであった。直ぐ仕度をして富士見台のASAさんの家に向かった。インターネットで調べて行ったので場所は直ぐ分った。

 家には奥さんが一人でいて、来てくれたことを喜んでくれた。仏壇に線香をたむけたあと、話した。静岡市石田の官舎にいたとき、同じところに住んでいて私や母のことをよく知っていた。母が93歳でいることを言うと喜んでくれた。そしてASAさんが9月ごろまで元気でいたこと。そして急に倒れ救急車で済生会病院に入院し、3週間ほどで退院したが、直ぐ介護施設に入ったが、10日ほどで亡くなったことを話してくれた。亡くなってから既に2ケ月ほど過ぎたので、暗い感じもなく、はっきりした口調で昔のこと等話した。

 国鉄を退職されてから10年ほど前に一度登呂遺跡であったことがある。その時は昔と変わらず、恰幅の良い身体で元気で話したことを思い出した。そのような人が無くなっていくことは寂しいが、長寿であったことが少しの救いである。先日の12月14日の〇〇支部の忘年会のとき挨拶したが、その時「今年は災害等よくないことが多かった。しかし会員の皆さんが健康に注意された過ごしたことから、4月以降今日まで前年の同期と比較して亡くなった方が半減しているこれは良いことである」こんな話をした。しかしまだ一週間も経っていないのに3名の訃報を聞いた。あのようなことを言わなければよかったと今思っている。