Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

末弟を預かる

2011-12-04 22:40:52 | Weblog

 末弟の義父が亡くなったのは昨年の12月末であった。まだ最近のような気がしていたが、もう1年近く経ったのだ。その一回忌が今日静岡市葵区の〇〇寺で行われた。それに連合いと子供と孫たちで行うことになった。先日(11月29日)きょうだい会の帰りに末弟を家に送っていったとき、そのことを聞いた。その時「12月4日の法事の時、主人(末弟)を預かってほしい」と頼まれた。末弟は誰かの介添えがない限り歩くことも困難であり、病気の弟はそのような席に出席しない方がよいと思った。そこで法事を行う午前10時から午後4時ごろまで預かることにした。

 今日は早めに犬の散歩を自転車で行い、午前10時には弟を迎えるよう準備をしていた。午前10時を少し過ぎたころ、弟達が来た。奥さんと孫娘だった。末弟には2人の子供がいるが、長女は横浜で会社勤めをしていて、昨日のうちに函南の家に来て、今日一緒に静岡に来たものであった。長男は大阪で生活しているが、今朝新幹線で静岡に来るので一緒には来なかったと言った。30分ほど話をしてから、奥さんと娘は法事に行くと言って出て行った。

 末弟は62歳になる。5人きょうだいの末っ子ということで両親にもかわいがられた。おとなしい性格で皆からも好かれた。社会人になってからは、三島の弟と一緒になって会社を起こし、社長として10人ぐらいの従業員を雇うまでになった。身を粉にして働き、2人の子供を大学に行かし安定した生活をしていた。その子供たちも社会人となり、これから仕事を減らし夫婦で旅行などしてゆっくりしようと思っていた矢先、2年ほど前に難病にかかり、平衡感覚が侵されるようになった。いろいろの病院に行って診察をお受けたが、効果は表れないでいる。言葉をあまり発しない人になってしまった。この弟のことを思うと不憫でならない。

 2人になって、昔のことなど話した。しかし反応もあまり示さなかった。それでも面白い話をすると声を出して笑うこともあったが、口数はすくなかったた。妻が「昼食は〇〇ちゃん(末弟の名前)の好きなお寿司にしよう」と沢山の寿司を買ってきた。それを食べるときは少し明るい感じの表情になったが、それ以外は黙っていることが多かった。その後は疲れるのか、ソファーで横になった。午後4時近くなって奥さんと娘さんが帰ってきたが、それを見ると不安定な体を起こし、家に帰ろうとした。末弟は両親とこの家で過ごしたのかきょうだいのなかで一番長い。それでも今は函南の家に帰ることが一番良いようだ。何としても末弟の病気を治してやりたい。