Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

T介護施設のボランティア

2011-02-24 23:35:34 | Weblog

 今日はT介護施設で歌のボランティアがあった。毎月1回行っているが、以前は準備として半日程をそのことに当てたが今回はその余裕がない。午前中の少しの時間そのことに当てた。今までに模造紙に書いた歌詞の中から、丁度今の時期にあった曲の数曲選んでいった。選びながら曲を口ずさんで見ると滑らかに歌が出た。今日は春雨のような雨が降っていて、こうした時は喉が潤って声も出るようである。

 そして選曲は20曲ほどになった。それは施設に入っている誰もが歌ったことがあるような、歌いやすいものを選んだ。しかし今回はいつものように歌にまつわるエピソード等を調べておくことが出来なかった。少し不安もあったがPM1時20分にはT介護施設を訪問した。会場に入ると椅子が並べられていて準備は出来ていた。模造紙に書いた歌の順番などを決めていると、車椅子の2人のおばあさんが見え、私の名前を言って待っていたことを話してくれた。今まで自分の名前を言ってくれた記憶はなかったが、呼ばれて嬉しい気がした。その内に会話の好きなおばあさんが話し始めた。「私は先生(このように呼ばれている)と同じ年に生まれました。主人を平成18年に亡くし、それまでいた岐阜県可児市から、娘が嫁いできている静岡に来て、この施設に入っています。歌が好きで先生が来るのを楽しみにしています」とはじけるような明るい表情で話してくれた。

 PM2時から始まったが、今日は50人近くの人が見えていた。男性の1/3ぐらいが見えていた。女性に比べ男性はどこか目立たない感じであったが、それでも最近多くなってきていることは嬉しく思った。 男性がもしリクエストしてくれたら軍歌も歌おうと数曲用意してきたがそのチャンスはなかった。最初は「ふるさと」を皆で歌った。「叱られて」「ねむの木の子守唄」「遠くに行きたい」「このひろい野原いっぱい」「早春賦」「母さんのうた」などを合唱した。ここに入っている人は高齢者であり顔に生きてきた過去が見えるような気がした。そしてふと先日も研修のことを言いたくなった。それは「世の中を不満を持って生きる人と、いろいろの困難に会いながら、これが人生と割り切って前向きに生きている人がいます。先日受けた研修で、生まれながらに顔に大きなハンデをもって生まれた人が、それを感じさせないで明るく生きようとしている姿に私は感動しました。後者の生き方をしたいものです」と話をした。  それともう一つは「母さんの歌」の時は特攻隊員が前線基地の「知覧」から飛び立っていったが彼らが残した遺書のほとんどが、母に送った手紙であったことを話した。 話は聞いた何人かが泣いていた。