Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

YAさんの葬儀

2011-02-22 12:22:02 | Weblog

 研修中の19日携帯電話に妻からのメッセージが入っていた。「WAさんが亡くなりました。通夜は20日で、出棺は21日9時15分、葬儀は13時から静岡の光増寺で行なうことになっているが、出棺までに帰れますか」こんなメッセージであった。直ぐ妻に電話してその詳細を聞いて、状況は判った。WAさんは我家の前にある家であり、この葬儀は出席しなければならないと思った。妻は母の介護があり出席できないため電話してきたものである。20日は研修があり帰れないが、21日朝新幹線品川駅7時10分ひかりに乗れば、静岡駅8時10分には着く。そうすれば出棺までには光増寺に着くことが出来そうである。そこで五反田のホテルを朝6時20分に出て、品川から新幹線に乗ることが出来た。光増寺は、家から自動車で10分ほどのところにあり、9時ごろには着いた。既に本堂では読経済み、出棺の準備をしていて何とか間に合った。その後は荼毘から、本葬まで皆と共にした。

 YAさんのことは17日午後我家の前に救急車が停まり、YAさんがタンカーに乗り救急車に乗り込んだのを家の中から見ていた。それは奥さんと会話しながらであったので、たいしたことではないものと思った。まさかこのようになるとは思いもしなかった。YAさんとは10年ほど前はよく話したが、ここ5~6年は会うと挨拶ぐらいするが無口になり、ある面無表情になった。私が会社を退職したと、同じ頃YAさんも会社を辞め家にいるようになった。そのことから私と同じ年頃ではないかと思っていた。しかし享年62歳であった。今日初めて知ったが長い間肝硬変に侵され、早期退職せざるをえなかったこと、その後は身体の回復に努めていたが、回復することなく亡くなってしまった。体調のことを考えると、道で会っても人と楽しく会話することが出来なかったことが今分かった。

 後に奥さんと社会人となった男の子が残ったが、気丈に振舞う遺族に涙が注がれた。今回町内から葬儀に参列したのは12名ほどであったが、男性はENOさん、SUさん、YAさん、SAさんそれに私であり、後は女性であった。YAさんとは町内の班がちがっていたが参列したのは男性では私だけであった。 生前余り故人とは話をしなかったが、遺族はよく知っていたので喜んでくれたと思った。初七日から精進落としまで町内別班の人達と一緒に過ごしたがそれによる違和感は感じなかった。終わって帰ったのはPM3時ごろであったが、今日は人の命の儚さを考えさせられた一日となった。         2月21日のことを記す。