Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

祖父、曽祖父の50回忌

2011-02-01 22:24:57 | Weblog

 母の父、祖父は昭和36年に亡くなった。祖父は2月3日であり、父は11月15日である。私にとっては曽祖父と祖父であるが、幼児であったころ、父が外地に行っていたので、母は実家に帰り、そこで育った。私は初孫であり、この2人には可愛がられた印象が強い。しかしその葬儀のとき、私は既に社会人になっていたものの、何とか叶えたい希望があって、それに専念したいと、2人の葬儀には参列したものの、短時間いただけであったような気がする。そのため葬儀については余り覚えていない。

 その2人の曽祖父と祖父の50回忌を2月1日に行うことになった。きょうだいは長女の母と3人の妹達と、跡取りの男子の計5名である。昨年次女のKIさんが90歳で亡くなったが、5名は健在である。しかし老齢であり、みんな病気のようなものを抱えている。沓谷の菩提寺のZYOUYUUZIに午前11時に集まることになった。母は付き添いが必要であり随行として私も参加することになった。このきょうだいの年齢が70代後半から90代までであり、全て静岡市に住んでいるが、自動車の運転もままならない人達ばかりである。そこで私が運転することになった。静岡市沓谷の菩提寺の先祖の墓を清掃して生花と線香を焚いた。手を合せると、50数年の前祖父と曽祖父の面影がよみがえったが、歳月の流れの早さを改めて思った。

 その後母の妹のYOさんの家に全員が寄ることになった。丁度菩提寺の近くの長沼に住んでいて、墓参り等の時にはいつも寄るのが常であった。丁度正午を廻った時間であり、朝食が準備されていた。そこには祖父や曽祖父がよく連れて行ってくれた中村屋の親子丼があった。静岡ではよく知られたこの親子丼は、昔と変らないつくりで、その美味しさは格別であった。それに皆が持ち合った、惣菜やYOさんが作った料理に舌鼓した。このきょうだいは女のきょうだいが中心で仲がよい、食事の後は、昔の話や、子供や孫の話し、それに現代社会の話など途切れなく話し込んだ。   私は特別参加であり、聞き役に廻っていたが、いろいろ教えられることが多い。その内に私に何か歌えとの話があり、2曲(「千の風になって」と「初恋」)を歌った。前回のときもそうであったが、私の歌を聞きたいといい、歌ったことがあったが、その後はいつも歌っている。話は午後7時過ぎまで続いた。母もきょうだいの気楽さもあって、その会話についていった。 長い時間座っていたので、母は疲れたしテンションも上がって「ここに泊って行く」なんていって駄々をこねたが、何とか納得させ帰ることにした。三女のHIさん夫妻を届け、家に帰ったのは午後8時ごろであった。