日本の伝統音楽、雅楽を聴くのは初めてである。能、文楽、歌舞伎と云った日本の芸能に大きな影響を与えたのが雅楽であると云われている。この雅楽は、1000年以上もの長い年月を超え宮廷を中心に伝えられた音楽であった。これは、奈良時代、平安時代に中国や韓国などから伝えられた音楽と、日本古来の音楽と出会い、日本の雅楽が作られものであると云う。私は、西洋音楽に興味を持つようになり、定年後にカルチャー講習等などで学んできたが、それが高じて、日本の伝統芸能に興味を持つようになり、それが「雅楽」に至ったように思う。
浅学であるが、歴史的に日本の音楽のルーツがそこにあるのでないかと思う、そこで雅楽を聴くことにした。6月22日(土)静岡音楽館AOIで「はじめての雅楽」と云うタイトルで演奏会が行われた。このサブタイトルは「子供のためのコンサート」とあり、小、中学生対象としたものであったようだが、入ってみると子供さんを連れた親子ばかりでなく、私のような年配者もたくさん来ていてほぼ満席であった。司会者から、雅楽について分かりやすく説明してくれてから演奏会に入った。雅楽と云うと笙、篳篥と云う楽器が代表されるが、竜笛、筝、太鼓、琵琶、鞨鼓、鉦鼓の8つの楽器で演奏するのが基本のようで、ゆったりとした演奏は日本のみやびを感じさせる音楽である。
最初は、「平調音取」と云い各々の楽器の音を合わせるための、短い曲を演奏された。これを聴くと、自然に雅楽の世界に導くような曲であった。その後「越天楽」を演奏したが、雅楽の中でも一番親しみやすい曲で、謡曲や筝曲、さらには民謡の黒田節に取り入れられ受け継がれているものであった。雅楽には、管弦のほか舞楽もあり管弦に合わせ舞い手が面を付け踊る姿は、動きは違うが「能」の舞を連想させた。演題「胡飲酒破」(こんじゅのは)は、胡の国(中国の異民族の国)の人が酒に酔った姿を舞にしたもので、これはまた、西洋音楽の歌劇に通ずるもので、日本の伝統音楽が、形を変え西洋音楽に繋がっていることを感じた。最近は「雅楽」が静かなブームになっていて、雅楽演奏グループ「伶楽舎」が結成され、雅楽古典曲以外に、現代作品の演奏など委嘱や演奏なども行っている。その活動は国内各地、アメリカやヨーロッパでの演奏も行っているとのことであった。
最後に演奏した雅楽童話《ききみみずきん》は、最近作曲されたもので、演奏の中で語り部が、内容を物語る雅楽であった。これが、雅楽にマッチしたものか私には理解できなかったが、伝統の形を継承したものから、現代人に理解されるような新しい試みであることを感じた。西洋音楽が、ストレートに表現する音楽人であるのに対して、雅楽は、悠久な営みの中で空気のような存在の音楽であり、日本人を形成する一つの核となっていることを感じた。
浅学であるが、歴史的に日本の音楽のルーツがそこにあるのでないかと思う、そこで雅楽を聴くことにした。6月22日(土)静岡音楽館AOIで「はじめての雅楽」と云うタイトルで演奏会が行われた。このサブタイトルは「子供のためのコンサート」とあり、小、中学生対象としたものであったようだが、入ってみると子供さんを連れた親子ばかりでなく、私のような年配者もたくさん来ていてほぼ満席であった。司会者から、雅楽について分かりやすく説明してくれてから演奏会に入った。雅楽と云うと笙、篳篥と云う楽器が代表されるが、竜笛、筝、太鼓、琵琶、鞨鼓、鉦鼓の8つの楽器で演奏するのが基本のようで、ゆったりとした演奏は日本のみやびを感じさせる音楽である。
最初は、「平調音取」と云い各々の楽器の音を合わせるための、短い曲を演奏された。これを聴くと、自然に雅楽の世界に導くような曲であった。その後「越天楽」を演奏したが、雅楽の中でも一番親しみやすい曲で、謡曲や筝曲、さらには民謡の黒田節に取り入れられ受け継がれているものであった。雅楽には、管弦のほか舞楽もあり管弦に合わせ舞い手が面を付け踊る姿は、動きは違うが「能」の舞を連想させた。演題「胡飲酒破」(こんじゅのは)は、胡の国(中国の異民族の国)の人が酒に酔った姿を舞にしたもので、これはまた、西洋音楽の歌劇に通ずるもので、日本の伝統音楽が、形を変え西洋音楽に繋がっていることを感じた。最近は「雅楽」が静かなブームになっていて、雅楽演奏グループ「伶楽舎」が結成され、雅楽古典曲以外に、現代作品の演奏など委嘱や演奏なども行っている。その活動は国内各地、アメリカやヨーロッパでの演奏も行っているとのことであった。
最後に演奏した雅楽童話《ききみみずきん》は、最近作曲されたもので、演奏の中で語り部が、内容を物語る雅楽であった。これが、雅楽にマッチしたものか私には理解できなかったが、伝統の形を継承したものから、現代人に理解されるような新しい試みであることを感じた。西洋音楽が、ストレートに表現する音楽人であるのに対して、雅楽は、悠久な営みの中で空気のような存在の音楽であり、日本人を形成する一つの核となっていることを感じた。