石原慎太郎が、13年半にかけて築いた帝国が崩壊!!
石原慎太郎が、心血(賄賂やバックマージン)を注いで山崎派を乗っ取り、自らは都知事を辞任し新党を結成し、橋本徹率いる維新の会と合流し共同代表に就任したが命運(隠し資金)尽き政界を引退したが、愚息の破廉恥な行為(甘利を浜田幸一の残党を使い失脚させたが、すぐに教唆が暴露)を引き金に「小池ゆり子」という刺客に襲い掛かられてしまい苦心して築いた「石原帝国」が衰退の憂き目にあいついには、石原大国の最後の牙城でもある「大田区後援会」で反乱が勃発し、「石原帝国」の崩壊が始まった!!
後援会が、石原伸晃を無視!!
これを見た小池ゆり子は、納めたはずの宝刀を再び振り上げた!!
石原慎太郎の「シンクタンク」のメンバーを公の場に引きずり出して弾劾する方針を固めたようです。
13年半という長きに渡り「東京都庁」に君臨し、悪行の限りを尽くしたつけは支払わなくてはならない!!
東京都のあらゆる利権に、触手を伸ばし「吸血鬼」のように都民の血税を吸い続けた百鬼である!!
「時効の壁」は、確かにあるが被害者は「都民」なのである。
これを放置するならば、司法の存在価値はない!!
東京ガスと鹿島建設との悪行が、激しすぎる!!
都民の血税を私物化したという「史上最高額」の贈収賄事件が、次々と行使されたのである!!
当時、私は石原慎太郎を諫めるべく「面会」を求めたが、何と都庁づめの警視庁警部補が10人近く現れて面会を阻止したといういわくがあるが、後日、関係者が陳謝に現れましたよ。
それにしても、「丸川珠代」も、「石原帝国」の支援を受けていたので大変だなあ・・・・・!!
以下転載
1998年11月30日、政策科学研究所(中曽根派→渡辺派→旧渡辺派)から分離独立した山崎グループ37名によって結成され、武闘派集団として形成されていった(山崎派→石原派)。
石原派前身政策科学研究所(旧渡辺派)設立年 1998年(平成10年)11月30日設立者山崎拓種類自由民主党の派閥本部平河中央ビル位置東京都千代田区平河町メンバー自由民主党所属国会議員会長石原伸晃関連組織 ...
自民党山崎派(所属議員16人)の山崎拓会長は総会で、政界引退と会長辞任を表明しま...
山崎拓は次期参院選で自民党から公認されない事が決まりました。
2008年5月の派閥会合で役員人事を一新。甘利を会長代行、石原を事務総長、山崎の腹心である木村義雄を事務総長代理、関谷を顧問に据えるなど派閥の引き締めを図った。
同年には石原が総裁選に強行出馬。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では改選前の37議席から16議席へと勢力が激減した。会長の山崎も再度落選したが、派閥の存続のためにという理由で会長職を続けることになった。
その後古川や武田は退会する。同年所属議員の激減による財政難から派閥事務所を閉鎖し、活動の拠点を山崎の個人事務所に移すことを決定した。
2011年6月、会長代行の甘利によって「さいこう日本」が結成された。
石原による二度目の総裁選強行出馬に加え、第46回衆議院議員総選挙に山崎が立候補せずに引退したことを受けて、2012年12月20日、山崎が派閥会長を退き、石原宏高の入会に加えて兄である事務総長の石原伸晃が新会長に就任することが決定した。
これにより、近未来政治研究会は石原派に衣替えした。派閥の幹部クラスであった甘利や田中和徳が離脱、選挙で国政復帰した渡海紀三朗や原田義昭ら山崎派初期からのメンバーも離れた。
選挙前には岡田広、小泉昭男両参議院議員も退会して所属参議院議員が一時的にゼロとなっており、派閥勢力が弱体化している。
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣には、会長の石原伸晃が環境大臣として入閣した。
しかし、2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では石原は閣僚から外れ、派内から入閣者がゼロとなった。かつて同派を退会した甘利明は両内閣ともに経済財政政策担当大臣として入閣しているのとは対照的に、合わせて行われた自民党役員人事でも党四役入りせず、同派で主要な役員ポストに就くのは税制調査会長に就任している野田毅が挙げられる程度である。
これに対し、党内主要派閥・グループで唯一閣僚・党四役入りがゼロとなった石原派の冷遇ぶりが目立つとの指摘もある。なお、党全体で50人を数えるとされる、「衆院5回、または参院3回」の当選を経ながら大臣ポストに一度も着任していないいわゆる「入閣待望組」として、派内では坂本哲志、平沢勝栄衆議院議員がいる(木村義雄参議院議員も事実上これに該当する)。
2015年4月、二階派との合流論が浮上する。
以上
まあこれから面白くなりますよ!!
石原派も、他の派閥に吸収されることでしょう・・・・!!
もう決まっていますがね!!