akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

「子どもたちが生きる世界はいま」

2005-10-15 | Weblog
2日前になるが、ピースボート49回クルーズで水先案内人としてご一緒だったフォトジャーナリスト、豊田直巳さんのトークショーに行った。

豊田さんは、世界中のいわゆる戦地、紛争地、被災地に生きる人々を取材し、フォト・ルポルタージュを記している。

イラク、アフガニスタン、パレスチナ、アチェ…。
彼の記した「子どもたちが生きる世界はいま」(七つ森書館)には、世界各地の子供たちの笑顔と苦悩と彼等の思い、そして平和への切なる願いが顕われている。

「正義の戦争」の下、多くの無抵抗な市民が殺されていく。
戦争が終わっても、彼等の戦争は終わらない。
親を失い、体の一部を失っても、残された子どもたちは生きるために必死である。
大人も、子どもを失い、友を失い、希望を失っても、生きなければならない。

その彼等を、戦争兵器による化学物質や残留放射能汚染が容赦なく襲う。
イラクでは、劣化ウラン弾によるものとみられる異常な病気、感染症、奇形児の出生などが多発し、産科小児科病院には苦しむ子供たちが溢れているという。
カンボジアの地雷も、たくさんの被災者と危険を残したままだ。

豊田さんは、現地で紛争の犠牲になっている市民たちをその目で見、カメラで切り取ってきたものを媒介に真実を伝えながら、現状と問題を把握してほしいと訴える。

トークショーの会場で、「私達に何ができるでしょうか」という質問が出た。
私自身にも問いかける。
実際、かけ離れた世界で起きている、自分には関係のないこととも言える。

でも、同じ一つの地球上に起こっていることである。
同じ人間の上に降り掛かっている人間による災害である。

暴力は相手の暴力を誘発し、戦争は戦争を生んでいく。
戦争が悲惨で不幸なことくらい、誰だってわかる。

戦争を引き起こさないよう、紛争を平和的に解決できるよう、国際世論が高まらなければならないし、私達はもっと国連や国際司法の力をつけていくべきである。

「正義のための戦争」「内紛の鎮圧」などという大義名分の下で、一部の人間たちの欲や利益や感情のために多くの人間が死んで行くことも、決してあってはいけないし、許してはならない。

人は、差異を認め、わかりあえる。
民族も。国家も。
また、痛みや哀しみを忘れることもできる。
嫌なら一線をひき、干渉しあわず、お互いの平和を保つこともできる。

恨みに生きて幸せな者などないはず。
許すまでには時間がかかるかもしれない。
でも、過去の過ちをくり返さないために、過去になったからこそお互いの過ちを認めあえることもある。

日本も、他国に対して、侵略戦争をした歴史がある。
加害者であり、被害者でもある、のは、戦争に加担したほとんどの国にいえること。

明日活弁上演する「東京の合唱」は昭和6年、満州事変勃発の年の作品である。
当時の市民の小さな幸せや悲哀を描いたこの頃の現代劇を上演する時は、常に、
現代にも通じるテーマの、良質な作品を見てもらえることに喜びを感じると同時に、
その後戦争へと突入していくこの時代を思い、せつなくなる。

すべての国が、すべての国と、友好関係を保てる時がきてほしい。
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