木燃人の波止場

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1084 近江歴史散策 (1) 日牟禮八幡宮

2014-05-07 08:00:00 | 寺社一般

 後期弥次喜多による、「近江商人のふるさと」をめぐるシリーズのはじまりです。

前回の「彦根の桜と歴史探訪」と同様に、全ての計画から車の運転まで、全てをお任せの”おんぶにだっこ”方式であれいました。 朝7時30分に友が我が家に来てくれた上に、道中、私の健康や足の疲労にまで及ぶ、何かと気を使ってくれての旅でありました。

持つべきは”よき友”と再度思う一日になりました。(2014.04.24(木))

 

天秤棒に夢を乗せ、行商に励んだ近江商人発祥の地。近江商人とは、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、日野、五個荘、近江八幡から特に多くを輩出しました。現在も商社をはじめ多くの企業が活躍してます。(市観光協会の資料より)

「日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)」

     近江八幡市宮内町    拝観:自由

 

神社のホームページによれば、始まりは・・・

伝記によれば、131年、第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位の折に、武内宿禰に命じ、現在のこの地に大嶋大神(地主神)を祀られたのが、社の鎮座の始めとされています。

秀次公と合祀(神社のホームページより)

  天正18(1590)年、豊臣秀次公が法華峰に八幡城を築城のため、上の八幡宮を麓の比牟礼社に合祀しました。替地として日杉山に祀る予定でしたが、折りしも文禄4(1595)年秀次公は自尽に及びました。このため八幡城は廃され、日杉山に神社も建立されず、現在の如く一社の姿となったのであります。
 秀次公の八幡城は廃城となりましたが、城下町は商人の町として発展し、名にし負う近江商人を育てました。当社は近江商人の守護神として、崇敬を集めることとなったのでした

 鈴鹿スカイライン(R477)を経由してきましたが、渋滞もなく順調に走ることができて、9時前に八幡さんに到着しましたので、好天ながらまだ人でも少ない状態でした。

 

 

 

 

 近江商人の考え方を表す言葉の代表的なものに、「三方よし: 売り手よし、買い手よし 世間よし」があります。 売り手の都合だけで商売するのではなく、買い手が満足し、商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならないという考え方でしょうが、多くの商人や製造者がこの精神を実践したならば、もっと幸せで明るい社会になることでしょうなあ!。(観光協会の資料によるが、一部は編集しました)

 

 

 

この後は、八幡宮の周辺を散策します。

 

 

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