木燃人の波止場

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中山道 赤坂宿 (No 1726)

2018-03-03 08:00:00 | 名所旧跡

 大垣市の西部を通る 中山道 、この辺りは 赤坂宿 と言われ繁栄した地域であるが、今回その旧跡をたどって見た。 (西美濃で食事会 シリーズ14-6)

 2018.02.18(日)、高校時代からの仲良し三人は、食事会と称して、岐阜県西部にきている。 すでに幾つか見てきたが、今回紹介するのは、大垣市の中心部(市役所やJR大垣駅等)より北西部を通る「中山道」(今の表示では県道216号線)の「赤坂宿」についてである。 

赤坂宿についての記述をさがすと・・・

 赤坂宿は杭瀬川の舟待ち宿として存在していた杭瀬宿が発展したもので、
江戸時代に川港(赤坂港)が整備されると物資の集散地として一層の賑わいとなった。
 この賑わいは明治に入っても続き、往時は三百隻もの舟がもやっていたとも言われている。

 赤坂宿は江戸から数えて56番目の宿場。 

  下は現在の赤坂宿の本陣前周辺であり、東(江戸方向)方である。 

  同上、西方(京方向)

 

 赤坂本陣跡

 

「赤坂港跡」・・・杭瀬川の川湊

川湊の概要。右奥が川の上流方向。
杭瀬川は揖斐川の支流であるが、現在の杭瀬川本体は別の所(東方)を流れているが、江戸時代はここを流れており、周辺で産出される、石灰や大理石の積み出し港として賑わったようだ。

 

川の下流方向、木製の珍しい「火の見櫓」。

 灯台(石灯籠)と湊跡。

 洋館は「赤坂港会館」(左)と呼ぶ資料館で、赤坂町の中心地にあたる中山道と谷汲街道の分岐点に、明治8年(1875)に建てられた警察屯所を復元したもの。

 

  当地出身の「所郁太郎像」であるが、高杉晋作や桂小五郎などと共に、明治維新に活躍し、28才の若さでこの世を去った医者であったと記されている。 

 

  この後は、松尾芭蕉、奥の細道むすびの地について、書こうと思っている。

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