木燃人の波止場

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1391 今城塚古墳と古代歴史館

2015-09-02 08:00:00 | 資料館

  2015.08.28(金)晴。 「太田茶臼山古墳」を見た後、継体天皇の陵はどちらなのかを探るためにと訪れたのであった。

  「史跡今城塚古墳」

    大阪府高槻市郡家新町    入場、駐車無料

ここは6世紀前半に築かれた、二重の濠を備える淀川流域最大の前方後円墳です。継体大王(聖徳太子の直系の曽祖父)の真の陵墓と言われています。発掘調査の結果、日本最大級の埴輪祭祀場や、墳丘内石積、石室基盤工などの当時最先端の土木技術などの貴重な発見がありました。 (歴史館の資料より、一部編集)

 下は上の写真中央にある「埴輪祭祀場」の拡大。

 

古墳の模型の片隅に子供がいる場所が、下の写真の中央やや左の大きな木の立つ位置であり、そこより右の濠を越えた辺りが、巨大前方後円墳の円の部分に当たる。

ウイキペディアによれば・・・

古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳である。古墳の被葬者は、形状や埴輪等の年代的特徴、また『古事記』『日本書紀』『延喜式』など文献資料の検討から、6世紀のヤマト政権の大王墓と推定され、6世紀前半に没した継体天皇とするのが学界の定説になっている

 

「今城塚・古代歴史館」

        入場、駐車無料 (古墳に隣接)

 陳列状況

 

 

 

 

 さて、結論であるが、再度ウイキペディアによれば・・・・

 真の継体天皇陵である可能性が高いことから、戦前《1935年-1944年昭和10年-昭和19年)》に設けられた臨時陵墓調査委員会においても、この古墳を「陵墓参考地に編入すべし」との答申が行われた。しかし、宮内庁は今城塚古墳の陵墓参考地指定については現在も難色を示しており、今城塚古墳から1.3キロメートル西にある大阪府茨木市太田茶臼山古墳を継体天皇陵に治定している。太田茶臼山古墳の築造は5世紀中葉と考えられており、継体天皇が没したとされる年代よりも古い時代の古墳と考えられる。

この大王墓が、6世紀にいたって畿内北部の淀川水系にはじめて出現することは、それまでずっと南部の大和川水系の大和河内にあった勢力から王権の主導権が移ったことを意味するとも考えられる。

・・・ということであった。

 

 

コメント (2)
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