木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1024 博物館明治村 (4)五丁目

2014-01-08 08:00:00 | 資料館

  昔から「松の内」という言葉がありますが、それが何時までなのかを調べて見ました。

それが、1月1日のみとする説、3日までとする説、7日まで、15日まで、20日まで、31日まで、さらには旧暦の1/7日まで(江戸幕府制定)など様々な説がありますが、 私の独断と偏見によれば、1/7日までとして、今日1/8は正月が明けたことにして、ブログを再開したいと思います。

”取材”と称するお出かけはなかったし、初詣も自粛していたので、目新しい話題はありません、 昨年末に編集した話材などで、隔日になりますが、 書いてゆきたいと思います。 また、この後はぼちぼち”取材”と称するお出掛けにも参りたいと思っておりますす。

遅くなりましたが、 今年もよろしくお願い申し上げます。

 

昨年末からの続編ですが、 明治村の見学も最終編、第四編となりました。 ここでは5丁目に展示されているものを紹介したいと思います。

 

 5-51.  聖ザビエル天主堂  (京都市)  

伝道に務めたザビエルを記念して、明治23年に建てられたもの。構造はレンガと木造の併用で、外周はレンガ、内部や柱は木造となっている。

 下は聖ザビエル天主堂のステンドグラスの一部であるが、右は玄関口にあるもので、直径3.6mの大きな薔薇窓になっている。 ステンドグラスは色ガラスに模様を描いたもので、外側には透明ガラスを重ねて保護されている。

 

 5-52. 金沢監獄正門  (金沢市)

明治5年「監獄則並図式」なるものが公布され、近代的な監獄制度と洋式の監獄の規範を示したものであった。これに沿って建設が始まった。 金沢監獄は明治40年で、南北250m、東西190mの敷地にレンガ造りの高い塀で囲われ、唯一西面に開けられていたのがこの門であった。

洋風建築の当時の流行を取り入れ、窓が小さく、頑丈な鉄格子がいかめしさを際立たせてはいるが、西洋の城郭にも似てなんとも美しい造りではないかと思う。

 

5-53. 小那沙美島燈台  (広島県沖美町)  下の写真左端

第五師団司令部や海軍兵学校など広島湾沿岸は軍事上、産業上の要所であった。 日清戦争の際は大本営が広島に置かれ、日露戦争の時にも運輸本部が置かれた。 その日露戦争の開戦前後にこの燈台は、僅か3ヶ月という短期で建造されている。

工期の短縮と、急斜面に造るために、鋳鉄製で、現地組み立て方式となっている。 4段の円筒形塔柱に燈篭と天蓋が載せられ、高さ7m足らずであった。 光源はアセチレンガスで、光の届く距離は10kmほどであったとか。

5-54. 天童眼鏡橋  (天童市)

明治20年に造られた橋で、「多善橋」と呼ばれた。 幅7.7m、長さ13.3mあり、ゆったりとしたアーチ橋で、地元の山寺石で造られている。

 

5-55.  隅田川新大橋     (省略)

 

5-56.  大明寺聖パウロ教会堂  (長崎県伊王島)

キリスト教禁制が解かれたのが明治6年、長崎での最初は大浦天主堂でありその15年後の事、この建物は同12年であった。  内部はゴシック様式であるが、禁制の影響を色濃く残した外観になっている。

内部の天井は「コウモリ天井」と呼ばれ、柱の間に渡されたアーチ型のリブを骨として天井を支えている。 ここでは木製ノリブを骨として、鳥籠のように編み上げ、漆喰を塗り重ね、美しくまとめている。

 

晩秋の入鹿池です。 右端の白い建物は 3-33 「宗教大学車寄」です。

 

 

5-57. 川崎銀行本店  (東京都)

ルネッサンス様式を基調とした本格的銀行建築であり、鉄筋コンクリートに外壁として御影石積とし、昭和2年に竣工した。 地上3階、地下1階、間口38m高さ約20mであった。

川崎銀行は水戸藩の勘定方を務めた川崎八衛門が明治13年に設立した。 川崎第百銀行、第百銀行などと改称の後、三菱銀行に合併した。 建物は後に日本信託銀行が使用していた。

東京の中心、日本橋のシンボルとして親しまれて来たが、昭和61年に壊され、正面左部分がここに移された。

 

5-58. 皇居正門石橋飾電燈

(省略)

5-59. 内閣文庫  (東京都) 

明治6年赤坂離宮内に太政官文庫として開設された明治政府の中央図書館であった。同23年内閣制度の制定にともない内閣文庫と改称され、昭和46年国立公文書館が設立されるまで、内外の古文書研究家に利用された。

 

 5-60.  東京駅警備巡査派出所  (東京都) 

品川を東海道線の起点としていたが、丸の内まで延長する大工事が大正3年に竣工し、東京駅と命名された。その折駅前広場を整備する中で、この派出所が造られた。

鉄筋コンクリート造りで、化粧レンガを張って仕上げている。 駅本体との調和を図るために、”隅切り八角形”にするなど、駅舎のデザインを意識した設計となっている。

 

5-61.  前橋監獄雑居房  (前橋市)

明治21年に造られたもので、構造は和洋折衷であるが、房廻りは江戸時代の形式で造られている。 太く堅い栗材を密に建て並べ、貫を通して鳥籠上に囲い、床や天井も堅固に組まれている。

 

5-62. 金沢監獄中央看守所 ・ 監房  (金沢市)

明治40年の建設であるが、ここでも洋式舎房が採用されている。 八角形の中央看守所を中心に、左右および正面と左右斜めにと五つの舎房が放射状に配されている。 外観は普通の洋館であるが、壁は三重にして、内外が厳重に区切られている。

 

 

 

 

5-63.  宮津裁判所法廷  (宮津市)

古来我が国では、裁判所は行政が握っていたが、明治元年に立法、行政、司法の三権に分離され、司法権が独立した。 その後幾度の改編を重ね、同23年に刑事訴訟法が制定された。 このような司法制度の確立期の同19年にこの宮津裁判所は建てられた。

 

 

 5-64. 菊の世酒蔵  (刈谷市)

明治の初め穀物蔵として建てられたが、 明治28年菊広瀬酒造の仕込み蔵となった。  和風瓦葺きで外壁に厚い土壁を塗った二階部分と、吹き打ちの庇からなる。 いま、内部は酒造りに関する資料の展示をしている。

 

 

5-65. 高田小熊写真館

5-66. 名鉄岩倉変電所        (以上 2件省略しました)

 

 5-67.  帝国ホテル中央玄関  (東京都)

20世紀建築界の巨匠と言われる、アメリカの技師の設計とされ、大正12年4年の工期を経て完成した帝国ホテルの中央玄関部分である。 皇居を正面にして、総面積34000㎡の大建築で、多様な建築空間構成となっていた。 

 

以上で展示物は終了です。 この辺りは北門(SL東京駅)近くになるので、SLに乗って正門に帰るもよし、写真下の「村営バス(乗車料一回¥500)」で、 乗務員の説明を聞きながら、 ゆっくり村内を巡回し、 建物を再確認するもよいだろう!。

 

 

以上で、「博物館・明治村」見学は終了です。

ここでは単に懐かしい建物などを見るだけでなく、 激動の明治を生き抜いた先人達の英知と苦闘が見えてきて改めて感激をするとともに、感謝の気持ちも湧いてきて、 大変有意義な訪問であったと思いました。

 

コメント (4)
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