木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

948 東海道 桑名宿 ⑦ 安永 町屋橋跡

2013-06-22 08:00:00 | 名所旧跡

東海道桑名宿の旧跡めぐりも最終編を向えた。今日のブログは桑名市の南東部矢田立場という所から、市の南端までを記載する。  2013.05.26(日)実行

 

今の道は直線的に作られる事が多いが、地図上で旧東海道を見ると結構曲がりくねっている。敢えてそうしたとする地域もあるようだが、ここはどうなのだろう?。  道はここから一旦西方に向う。

 

 「矢田立場」

「立場」とは、江戸時代の五街道等で、次の宿場が遠い場合、その途中に休憩施設として設けられたもの。峠の茶屋や売店などがそうらしい。  旧東海道はここから南方に折れ曲がる。

 

東海道を示すものは何もないが、ここは旧東海道である。

この辺りは「安永」という地で、下の写真で、道の突き当たりは「員弁川」の堤防であり、ここに「町屋橋」があった所である。(今の町屋橋は国道一号線に架かる)

この橋のたもとには、「料亭玉喜」などがあり、昔の姿を思い起こさせる、古い灯籠や樹齢200年と言われる「藤」の古木が残されている。

 

この旅館などで、街道の名物「安永餅」(下の写真は現在売られている餅)を売っていた。現在も料亭、旅館として営業しているが、旧館には「安永餅」の看板や「御馬口御洗水」の木札や、餅を作っていた頃のかまどなどが残されている。

 

「伊勢両宮常夜灯」、文政元年(1818年)建立。桑名市指定文化財。

石造里程漂には「従町屋川中央北桑名郡」「三重県庁舎一里口町余」と刻まれる。(明治26年建立)

 

写真を撮り損なったが、ここには樹齢200年以上の「楠」の大木があり、しめ縄が掛けられているとの事である。下の看板に描かれているのがその大木かも?。

 

「町屋橋跡」屋根付き表示板

橋は寛永12年(1635年)に初めて作られ、川の中州を利用した大小二本の板橋であったり、一本の板橋であったり、しばしば変わっている。江戸時代のものは、橋の中央で馬が退避出来るように幅を広げた事もあった・・・と書かれている

 ここに「町屋橋」が掛けられていたが、この少し左(東方)に昭和8年に国道一号線の橋がかけられた。 よってここの橋は廃止された。川の向こうは朝日町である。

 

東海道桑名宿の起点「七里の渡」から、旧東海道三重県内は鈴鹿峠までの間が約45Kmあるが、今回はその最初として現桑名市の南の端、町屋川(員弁川)の袂までの約3.8Kmを歩いたのである。これを地図に書くと下記のようになる。

 

 

 以上をもって、「東海道・桑名宿・旧跡めぐりを完結としたい。

私としては、初めての身近の歴史を取材することが出来たのも、全ては友のお陰と感謝すると共に、従来とは一味違ったブログになったと自画自賛しきりである。

今後も、例えばこの続編とか、古い町並みなどを残す地域にて、歴史の片鱗に触れたいと思っている。

                                    << 完 >>

 参考までに

上に記した”地図へのお絵かき”は、以前からやりたかった事のひとつであるが、つい最近ブログで親しくしている方から紹介された、akatomboさんに教えて戴き出来たものです。この手法のキーポイントは、パソコンの右上端にある「PrtSc」なるキーの使い方であり、これは他にも使い道は多々あると考えられるので、私には嬉しい”発見”であった。(パソコン歴うん十年の私が今頃知ったのかと笑われながらも) 

作り方の解り易い「地図へのお絵かき手順」のページ は

   https://tomboaka.wordpress.com/

また、akatomboさんのホームページは

   http://akatombo.e-whs.tk/

をご覧戴きたい。

 

 

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