木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

945 東海道 桑名宿 ④ 海蔵寺 本統寺 他

2013-06-10 08:00:00 | 名所旧跡

2013.05.26(日)、 ”後期野次喜多コンビ”は、東海道桑名宿の「七里の渡し」をスタート地点として、旧道の表示に従い、四日市宿の方向に歩いている。今回のブログはその4回目で、「七里の渡し」から数百メートル、少し街道からは外れるがお寺を紹介する。

 

「海蔵寺(かいぞうじ)」 

   宗洞宗   法性山   

   桑名市北寺町10    境内自由

宝暦3年(1753)に幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5年工事は完成されたましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他21基の墓石が現存し、市指定史跡となっています

薩摩藩士950名が参加した難工事で85人が命をおとしたらしく、5月25日総奉行だった平田氏の命日に合わせ、義士の子孫や市民約120名が参加して法要が行われた。(新聞記事切り抜きを友が持参してくれた)

藩士の内30名余りは病死であったが、あとの50名余りは”自刃”者であったおある。この工事が如何に過酷なものであったかが伺い知る事が出来る。これを遠い国、薩摩に命じた幕府が、後に追い落とされる要因のひとつになった事が想像できる。

下は、自刃した平田氏をコの字形に囲み23の墓がある。

なお、薩摩藩士の墓は、この寺の他、近くに3寺あり、また、岐阜県内にもあるようだ。

 

「本統寺(ほんとうじ)」     桑名別院本統寺  通称:桑名御坊、ごぼんさん

   真宗大谷派   

   桑名市北寺町47番地

本統寺は、徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺で、桑名御坊とも称され、俗に「ご坊さん」の名前で市民には親しまれています。境内には、俳聖松尾芭蕉が貞享元年(1684)野ざらし紀行の初旅の折り、この地で詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす はせを」の句碑(冬牡丹句碑)が建てられています

松尾芭蕉の句碑(写真を撮り損なったので、ネット上で借用)

 

「常信寺(じょうしんじ)」

    浄土真宗 高田派    如法山

    桑名市南寺町12

 

「ユスラウメ」

家の庭にあって、子供の頃今は亡き弟と”とりがち”をしながら、よく食べたことを思い出す。友に名前を聞かれて「ユスラ」と言ったが、よく調べて見ると正しくは「ウメ」が付く事を今頃知った。

寺に咲いてた花であるが、名前が解らない。

 以上3寺は近接して並んでいるが、ここから500m位歩いた所にも、5つの寺がぴったりと隙間なく並んでいる。これは慶長年間の町割の際、城下の外郭を固めるために計画的に寺院が集められたものだそうな。そのひとつが次の訪問先である。

 

「教宗寺(きょうそうじ)」

    浄土真宗 本願寺派  四宝山

    桑名市新町35

明応2年(1493)開基。元は法盛寺の(寺中で)境内にあり戦災を受ける。一時は和泉に移り、昭和39年(1964)現在地へ移る。現本堂は愛知県八開村より移築したもの。

「スイレン」

 

 佳境(?)に入って来た”東海道・野次喜多道中記”は、次回は御当地名物のはまぐりを食するあたりを書いて見たいと思っている。

                                  << 続く >>

 

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