木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

794 千光寺(奈良)

2012-07-08 08:00:00 | 奈良の寺社

奈良西部の古寺めぐり(5)


生駒山(標高643m)の3~4Km南方の小高い山地を昇ると、駐車場があり、ここからは道がかなり急な坂となるためには、今の私、今の座高が高い車ではとても昇る自信がなく、車を置いて昇ることとした。撮影助手はこの坂道を見て昇るのを断念したので、一人でゆっくりゆっくり、一歩一歩、休み休み昇ったのであった。


「千光寺」  (せんこうじ)  元山上千光寺
       真言宗醍醐派   鳴川山
       奈良県生駒郡平群町鳴川
       境内拝観自由(?) 

「山門」とは名ばかり、通り道はその横に出来ていた。大切な遺産の山門のはず、このままではいずれ崩壊するのではと心配したくなる。4本の柱の一本は最早地に着いてないのだ。歴史的価値はともかく、せっかくの門、もう少し大切にしたいものだ。

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寺のホームページによると・・・・
役 小角は、舒明天皇6年(634)元日、大和国葛木上郡茅原の郷、賀茂役氏の娘 白専女(母)と問賀介麿(父)との間に生まれ、後に成人し、金剛葛木山において仏道修業に励まれました。
 西暦 660年頃、生駒明神に参詣の析りご神託により鳴川の里に入り、小さな草堂を建て、漆の木で千手観音を刻み、日夜 荒行に励まれたとのことです。
 その小角の身を案じた自専女(母)は、従者と共に鳴川の里に登り、小角と共に修行しました。
 ある日、小角が遠見ケ嶽に登り南の方を観ると、多くの山々の中に不思議な光を放つ山を見て霊威を感じ、母を鳴川に残し 二匹の鬼を従えて此処より南へ二上山・葛木山・金剛山・友ケ島を経て熊野ヘ、熊野から大峰山系に入り 山上ケ嶽に登り、ここを修行根本道場と定められ、小角が大峰山へ行かれてからも、母 白専女は鳴川の里に残り修行を続けられとのことです。
 ゆえに、後世の人々は鳴川千光寺を”元の山上”と呼び、“女人山上”と称し、女人の修行道場として栄えました。
 天武天皇の御宇白鳳12年勅願により千光寺と号し五百石を下し賜われました。


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別の記事によれば・・・
生駒山系中腹にある千光寺は、660年頃役行者(役小角) が草堂を築き、684年千光寺の寺号を勅願により受けたと伝えられている。 役行者はここから大峯山に入ったことから、後に千光寺を元山上と呼ぶ
ようになったといわれている。 現在、体験修行を行うことができ、多くの老若男女が住職との対話も含めて
心を癒し、磨いておられるようだ。


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「役行者像群」

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寺への急峻な道の辺には、小さな集落があり、家々には色々な花が門前を飾っていた。

「スカシユリ」

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「ビヨウヤナギ」と思われるが、少し様子が異なるが・・・・・?。
ビヨウヤナギ花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-15.html
ビヨウヤナギよりも「ギンバイカ」に形は似るが、ギンバイカに金色は無いようであり、ビヨウヤナギとしか、今は言い様がないのだ。

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「千光寺」は小さな集落の終点にあったので、ここでUターンをして、国道168に戻り、次の訪問予定地「竹林寺」に向った。

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