木燃人の波止場

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793 金勝寺(奈良)

2012-07-04 08:00:00 | 奈良の寺社

奈良西部の古寺めぐり(4)


「朝護孫子寺」を見た後、信貴山を降りて国道168号を2Km強北上し、その道沿いの古寺に入った。


「金勝寺」   (きんしょうじ) 
        真言宗室生寺派  椣原山
        奈良県生駒郡平群町
        境内拝観自由  駐車無料(数台以内) 

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当山は竜田川に迫る薬師山の麗にあり、付近は峡谷となり、数十年前まではきわめて景勝の地でありました。当地には竜田川に住む龍神を祀る信仰が古くからありました。
寺伝によれば行基菩薩が春日神祠参籠のおり、夢枕に白髪の老人が現れ「これより西にあたりて霊地あり。建立し衆生救うべし。」とのお告げにより、天平18年(746年)、聖武天皇の勅命を賜り、境内四丁四方、寺領七百石、金堂、大講堂、阿弥陀堂、護摩堂、三重塔、食堂、その他塔頭坊舎三十六ヶ坊等の一大伽藍が建立されたと伝わっております。
鎌倉時代は皇室領となり、後白河法皇の荘園となった時期もありました。
その後、当山から目と鼻の先の距離にある信貴山城に永禄二年(1559年)に入城し、大和をほぼ制圧した松永弾正久秀の焼き討ちに遭い、天正年間にことごとくの建造物を焼失し、その上寺領までもが没収されました。
筒井順慶、石田三成に仕えた戦国武将島左近一族の支援や信仰厚い村の人々の協力もあり、本堂、阿弥陀堂、坊舎六ヶ坊等を復興しましたが、文政年間に五ヶ坊が廃絶し、現在は真言院「桜の坊」のみが残っております。
現在の本堂は寛文五年(1666年) の再興で、焼き討ちの焼け跡から、使える木材を再利用し、柱を上下逆に使用したり、規模を二分の一に縮小したりと、当時の復興の苦労の跡がしばれます。
その後再び明治十六年の火災により、護摩堂、宝蔵庫、庫裏を全焼しましたが、明治三十五年に護摩堂、解体移転、無量寿殿(阿弥陀堂)、南門、東門、檀信徒研修道場等を新築し、現在に至っております。約1200年前、創建当初は法相宗でありましたが、現在は真言宗室生寺派の法灯をお守りしております
。(寺のホームページより)

「本堂」

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「磨崖石仏}

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国道沿いにありながら、訪れる人もなく、寺はひっそりと静まっていた。

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「十三重石塔}

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「山門」
門の内側に黄色く咲いているのは「特定外来生物」の「オオキンケイギク」と思ったので、近くで見たら「ルドベキア」であった。何故この花がここにあるのかと、ネットで調べたら、明治時代にはるばるとアメリカからやってきたものを植えたようだ。

ルドベキア花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-507.html

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この後は、信貴山(437m)の北方数Km、生駒山(643m)の南方3~4Kmにある「千光寺」に向った。



余計なことであるが・・・
昨年の今日、私が生まれて初めての”手術台”に上がった日なのだ。
ある病院が病棟増設のために、売り上げ拡大の必要があり、私が望みもしない余計な検査をさせられたから、手術せざるを得なくなったのであるが、手術をしたことの是非は未だに自身は納得していないのだ。もし、手術を受けなければ、元気いっぱい、海外旅行なども行ってたであろうし、または、既に墓場の中だったかも知れないとしてもである。生きる権利は勿論あるが、生きなくてもよい道を選択する権利もあるのではないだろうか?と思う。

                                                                   << 続く >>

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