砂漠の朝

大人になれない人の育児日記。
奇跡講座ワークブックを実践中。

12月9日

2021-12-09 09:00:05 | 奇跡講座テキスト or ワークブック

奇跡講座 ワークブック編(241日目くらい)

 

【レッスン85】 レッスン69と70の復習

(レッスン69) 私の不平不満は私の中にある

この世界の光を隠してしまっています

(レッスン70) 私の救いは私からやってきます 

 

「不平不満」という言葉がレッスンの中に

あるよりも、「愛」とか「光」があった方が

なんとなく穏やかな気持ちになるような、

そんな気がしますが。

 

それにしても

本当の自分でいられるというのは

ある意味すごいことです。

もし本当の自分でいられる人は

怒らないと思う。怒りと無縁というか

怒れなくなるように思えるのですが、

どうなんでしょうね。

どこかで無理してると絶対に

どこかに怒りをぶつけてしまう。

私が怒りを認識したのは、

小3くらいのとき、わが道ゆく風の

転校生(今思えば)に、吹き出物を

からかわれたとき、カッとなって

持っているえんぴつでその子の

太ももをめいいっぱい刺した。

幸い、流血にはいたらなかったが、

びっくりした転校生と、

その子が私のいとこに向かって

「おまえのいとこよ!(なんてことするやつだ)」

と言っていたこと、全部が忘れられない。

何かのタイミングで必ず思い出す出来事。

その頃、とりたてて不幸なことはなかった

のですが。

学校で思うように振舞えてなかったかもしれない。

そんな通り一編な理由だろうか?

これを思い出すときはいつも、

自分の危うい性格をみて落ち込んで終わり

だったのですが、

その風景で私が見ないといけないことは何だろ

(私って暇だなぁ)

転校生が言ったセリフを聞いたとき、

私の中には、

「まずい!」という気持ちと、優越感があった。

いとこのことが好きだったんだ。

その頃の心情を思い出せないけど、

親戚同士なのに学校ではなかなか

関われないことに不満を感じていて、

怒りをぶつける場所もなかったところに

現れた転校生・・

知らないやつだけど偉そうにしてる

その子になら怒りをぶつけることができたんだ。

そしてその傷付けられた転校生の怒りは

私ではなく、いとこへ。こんなときにまで

責任はいとこの方へ。

この自分の中にあるいとこへのごちゃごちゃは

30代頃まで続きます。場所が離れており

会わないというだけで。

そして、完全に離れても、いとこの姉は

地元に残っておりなんやかんやと

コンタクトを取っているのでこれまた

完全に忘れさせてはくれません。

 

自分の意識してないこんな感情を

一体誰が幸せになるようにコントロール

できるでしょうか?

できっこない。

私は娘を幸せにできない。

娘が幸せだと気付くことでしか娘は

幸せになれない。

そして私は今幸せなのかもしれない。

本当の自分は愛だけだ。

 

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