皆さん、こんばんは。
またまた,実に久しぶりの更新になってしまいました。
HIVを持っていて、ブログも更新が無いと、体調を崩しているのではないか?などと思ってしまうかも知れませんが、私はとっても元気にしております。
ご心配くださった皆さん、有難うございます。
今年の4月から、”以前よりやりたかった事”...、技術を身につける為に、スクールに通う事を実現させております。
夢への,第一歩、踏み出しました!
家事,育児をしながらなので、自分のペースで通えるところを探して、勉強しています。
そして、スクール以外の日は、それに関するお仕事をしています。
日々,色んな方々と接する仕事ですが、とても充実しています。感謝、感謝です
。
そして、先日7、8、9日と、かながわ県民センターで行われた、”AIDS文化フォーラムinよこはま2009”というフォーラムに参加させて頂きました。
オープニングでは、私の主治医の先生と、『神様がくれたHIV』という本を書いておられる、北山翔子さんと一緒に壇上で、HIVに関しての自分の体験談をお話させて頂きました。
妊婦検診の血液検査で感染がわかった時の事、その時の気持ち、それから出産の事、両親へのカムアウトの事などなど、感染告知からいままでの事を、主治医の先生とインタビュー形式でお話しさせて頂きました。
何故、私がこのような場で、少しずつでも活動して行こうと思ったかと言うと、やはり自分の体験からです。
妊婦の血液検査で”もしかしたら"HIV"かも知れないという事を産婦人科の先生から聞いた時に、藁をも掴む気持ちで、"HIV陽性で、出産を経験した女性”の情報が欲しくて、その様な方々の経験談はないものかと、必死でネットで探しましたが、その当時は一つも探し出せず、暗闇の中から希望を見つけられず、ただただ、不安でしょうがなく、涙だけが出てくる日々を過ごしていました。このまま生きていても先が短いのなら、いっそこのまま”死んでしまう勇気を選ぼうか...なんて言う事まで考えてしまったり...。
私の場合、拠点病院を紹介され、そこに行くまで、大体10日くらいあった訳ですが、それまでの約10日間は本当に長く長く、まるで何年間も暗闇の中で彷徨っているかのように感じていました。
それから、拠点病院で今の主治医に出会い、"HIV"という病気の説明や、出産に関する説明を受け,そこで初めて”赤ちゃんが産めるんだ!”という希望と安堵感を得られました。
現在の日本は、年々"HIV"に感染する方々が増え続けています。
私の様に妊婦検診で感染がわかる方だっている訳です。
そんな、ただでさえ精神的に不安定になっている妊婦さん達に、少しでも私の経験から希望を見出して頂けたら...。”HIVを持ちながら出産を経験した人間”の1つのサンプルとして参考にして頂けたらと言う思いから,活動をしたいと思い始めました。『当事者の生の声』を届けたいと思っております。
それと共に、産婦人科医の方々や,出産に関する事をお仕事とされている方達にも、私から発信出来る事があれば良いな...と考えております。
それは、やはり、私が経験した事からなのですが、告知の時に、『私は赤ちゃんを無事に産めるの?』という事や、その際のリスク、母子感染の事、沢山沢山疑問があった訳ですが、その時の産婦人科医からは,納得出来る答えを得る事が出来なかったのです。
それは,やはり私が暗闇を彷徨う1つの原因だったのだと思います。
ただ、ここで1つ言っておかなければいけない事は、”私は決して産婦人科医を非難したり、責めたりする気持ちはこれっぽっちも無い”のだと言う事です。
その先生は”ウチの病院からは擬陽性は3人出ていますが、陽性が出たのは初めてです。”とおっしゃっていたので、むしろ,勇気をだして告知してくださった事、拠点病院を紹介してくださった事など、感謝しているのです。
告知される側は、勿論辛い瞬間な訳ですが、逆に告知しなければいけない側も,同じく辛いものだとわかります。赤ちゃんが出来て,母になる喜びを感じている人に言わなければいけないのですから。まして、初めての経験なら,言葉を選び、私と同じ様に告知の瞬間はドキドキだったに間違いありません。
勿論、CD4やウイルス量など人それぞれな訳ですが、その時に,ただ一言、”大丈夫、出産に関しては色々な方法がありますよ。”と言う一言が欲しかったのです。その一言があれば、拠点病院に行くまでの不安は軽減されていたと想像出来ます。
そんな訳で、今の私が出来る事を少しずつでも伝えて行けたらな...と思います。
何だか、思う事を”ダーッ”と書いてしまい、長くなってしまいましたが、近況報告でした。
読んでくださった方,有難うございます♪