野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

結局、引退

2017-11-30 10:15:46 | スポーツ
29日の午後2過ぎ、会見場所の伊勢ヶ浜部屋宿舎である博多の太宰府天満宮に師匠の伊勢ケ浜親方と横綱日馬富士が現れた。
午后2時からの会見に少し遅れて入ってきた伊勢ケ浜親方と日馬富士、会見場に入る前から、多分涙を流していたであろう、伊勢ケ浜親方の目と鼻先はすでに真っ赤。こんな形に引退せねばならない事態に、恐らく悔しくて悔しくてたまらないだろう。用意した紙面を見ながら「本日、横綱の引退届を提出しました」と話す親方の横に座る日馬富士は終始無言。

日馬富士は、引退理由を「横綱の名を傷つけた」と説明。我々相撲ファンが一番聞きたいところだった、貴ノ岩への暴行に至った経緯については「先輩力士として、弟弟子の礼儀礼節を正すことは先輩としての義務だと思う。直すのが先輩の義務だと思っている」と話した。また、九州場所で2日相撲を取って後、暴行事件がスポーツ紙面に発覚した3日目から休場した件については、暴行事件の後、貴ノ岩が謝りに来たので互いに和解したものと考えていたと説明していた。
  

日馬富士の貴ノ岩への暴行事件が明るになった時点で、これは引退の道しかないと感じてきたが、そのうち、報道各社が好奇の目でこの事件を追っ掛けて報道するに至り、暴行事件の本筋よりも相撲界の覇権争いではなかろうかと言う意見が次から次に出て、最近ではとうとうNHKのニューセンター9時のトップ報道までになってくると、日本の最重要案件は相撲取りの件かと多少違和感があった。横審の「非常に厳しい処分が必要」との意見が大勢を占めたとあるので、これはもう引退しか残された道はなく、今後の刑事処罰等を考えると、日馬富士が日本相撲協会の処分を待たずに、みずから引退し記者会見を開くのは、品格を問われる最高位の横綱としての責任のとり方を優先し、傷口をこれ以上深くしないで落ち着かせようとしたのだろう。それにしても、29日のニュースセンター9時のトップは北朝鮮のICBM発射より前に引退が報道され、それほど日馬富士暴行案件は国民的重要案件になってしまった。米朝軍事衝突になれば日本は相当な被害を被る事件なのに、日馬富士が引退しても被害はなく、むしろ被害ゼロ。同じ日の国会討論や北朝鮮のミサイルより日馬富士が最優先で報道されることにものすごく違和感が残った。

しかし、不思議な事件で、日馬富士が頭にきて暴行に至った原因を「弟弟子の礼儀礼節を正すことは先輩としての義務」と説明した言質が気になって仕方ない。加えて、モンゴル力士会なるものが存在し、しかも九州場所直前にモンゴル力士会が開かれ、モンゴル横綱が下位力士を「礼儀礼節を正す」と称して報道によると、数十回素手やリモコンで殴ったという。モンゴル力士会の言う「礼儀礼節を正す」とは一体何なんだろう。相撲界は各部屋ごとに力士への指導方法や指導理念は異なると報道されているので、一般的に考えると、各部屋の力士への「礼儀礼節を正す」は本来部屋の親方が行うべき案件だ。各部屋の親方の指導とは別に、モンゴル力士界特有の「礼儀礼節を正す」理由とは何なんだろう。そして、事件当日、日馬富士、貴ノ岩以外に横綱の白鵬、鶴竜、関脇照ノ富士もいたことが分かっており、対戦することが確実な横綱や関脇が場所直前に皆で酒を飲んでいること自体疑われてもおかしくない。しかも、モンゴル力士の横綱が下位力士に「礼儀礼節を正す」として暴力に至り、日馬富士の暴力が過熱するのを同席したモンゴル横綱や関脇が誰も止めず、暫く見ていたとある。あまりに日馬富士の暴力がエスカレートしたのをみて初めて白鵬や鶴竜が制したらしく、これを斜に構えて暴力を受けた側からみればモンゴル力士会による集団リンチではないのかとする捉え方も出てきた。

そのように考えていると、今日(30日)の神戸新聞5ページに、スポーツ評論家の玉木さんが「モンゴル会の実態把握必要」として、「モンゴル力士が集まったあの夜の是非も考えるべきだ。異国での懇親を断てとは言い難いが。だが星の貸し借りと言う疑惑を指摘する人もおり、もしそうなら問題で、相撲協会は踏み込んだ調査が必要だ」とあった。

段々と事件の詳細が明らかになっており、モンゴル力士会には有無を言わせぬ上下関係があり、そこには「礼儀礼節」なる暗黙事項が存在しているとすれば、それこそ、かっての相撲界にあったされる「八百長」や「無気力相撲」相当だとして捉えられる可能性すらある。飲み会で携帯電話をいじったら、素手やリモコンで数10発頭を殴られ10数張りもホッチキスで縫うような大怪我をさせられるのである。こんな慣習が相撲界にまだ残っているとすれば、この方が最優先に解明すべきとする意見には大いに同意する。

更に加えて言えば、横綱の品格の再確認だと思う。品格などと言うとあまりに抽象的だが、横審が行う横綱推薦、ウキペディアには「横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される」とされている。品格よりも勝つことのほうが大事なんだと言う力士もいるが、それ以上に多くの相撲ファンが、あの相撲は横綱が取るべき相撲ではないと非難や憐れみを掛けられるに至る場合、横審は、横綱を推挙した責任があるので、横綱に注意喚起を促す責任もこれもあってしかるべきだと考えるのはごく自然だと思う。


私は小学校の時期から、家のすぐ後ろにあった海岸の砂場でよく相撲をとった。
左下手を取ってがっちり決めると上級生にも負けなかった。だから大相撲は大好きだ。相撲も野球もテレビで良く観るし、このときばかしは一人楽しめる時間が過ごせる。現役時代、ライブの相撲が観れない時の楽しみは夜のスポーツニュースで全取組のダイジェスト版を楽しみしていた。今は、何時でも見れる。午後6時の相撲が終了すると、次はプロ野球だ。

東日本大震災で、多くのスポーツ選手が避難所の慰問に出かけたが、相撲だけは別格だと感じる時があった。
陛下の慰問と同等に語るのは不敬だとは思うが、「陛下の慰問」と「相撲取りが子供をひょいと持ち上げた瞬間」だけは避難所の多くの人達をホットさせた姿だったように思えた。ほかのスポーツ選手の訪問も勿論素晴らしいが、大きな相撲取りが小さな子供たちを抱える姿は避難所全体をなんとも安心させてしまう光景で、他ではこうは行かない。比較するのも可笑しいが、政治家とは雲泥の差だ。

大相撲には「八百長」など存在しないと思ってきた。見ていて情けなくなるような取組はある。 
家族が応援に来ているときの力士の勝率も高いといわれるが、それも別におかしなことでもないと思う。そんな「人情相撲」は、昔から講談や落語にも語られ、歌舞伎の題材にもなった。落語の『佐野山』は、大横綱の谷風が、小兵ながら人気のあった佐野山と千秋楽でぶつかり、わざと負けてやる話である。佐野山は、母親が大病を患い看病疲れと金欠で、毎日水しか呑まずに初日から9連敗(当時は10日目が千秋楽)。その佐野山に、谷風が勇み足で負けてやる話を、「人情相撲」として皆んなが拍手喝さいして喜んだ。

他のスポーツと違って、あの巨漢の相撲取りが、ほんの数秒間、思い切りぶつかるのだ。毎回同じような相手と相撲を取れば、「情」も入り込むし、「気」の抜けるときや「怪我」を怖れるときもある事を否定はできない。それらの事情を知ったうえで、肉弾の激しいぶつかり合いに驚嘆し、熱戦に拍手を送り、またある時には「気力なし」だと言っては面白可笑しく女房に解説する楽しみが相撲にはある。テレビを見ていて、正直、観ている我々も力士と同じように力が入るのは相撲だけだ。でも、何時も何時もぶつかり合いのガチンコ相撲ばかりでは、テレビを観ていて正直疲れる。 相撲取りがビールを何ダース飲んだとか、一升瓶を何本上げた時と聞くと嬉しくなる。あの巨漢の相撲取りが、ちいさな花札の賭け事をして遊んで何が悪い。・・などと、もう6年ほど前に書いたことがある。
  

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