野々池周辺散策

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「再現 マルコポーロ「東方見聞録」」は面白かった

2013-03-27 06:32:33 | その他
   
  「マイケル・ヤマシタ(Michael Yamashita)著:再現 マルコポーロの「東方見聞録」2002年12月発行」の表紙

著者のマイケルヤマシタ(Michael Yamashita)は米国生まれの日系3世で「ナショナル ジオグラフィック」誌の契約写真家。’79年から「ナショナル ジオグラフィック」誌に定期的に寄稿し、2001年「マルコ・ポーロの大冒険」の写真を担当した。全篇、非常に面白くワクワクして読み進めたが、その中からとりあえず日本に関する記述と気になった数点を抜き出してみた。「マルコ・ポーロは、本当に中国に行ったのか---。すべてはこの疑問から始まった。  ロンドンの大英博物館の中国部主任フランセス・ウッドは、1996年に出版した著書の中で、マルコは中国を訪れてはいなかったと明言している。」「この際、彼の「東方見聞録」をガイドブックとして偉大な探検家の足跡をたどり、こうした疑問を一挙に解消してはどうだろう。 当時から700年もたってはいるが、彼が記したすべての土地を訪れ、残る証拠を撮影しようと考えた。」そして、「ナショナル ジオグラフィック」誌の編集長に企画を提案し、企画は走り出した。」で物語は始まる。

当時の中国はフビライ汗の支配する”大元大モンゴル国”。
モンゴル帝国の創始者チンギス汗とその後継者達によって拡大された領土は、西は東ヨーロッパ、現在のトルコ、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。 それは地球上の陸地の約25%を占めることになった。モンゴル帝国支配下のマルコポーロの時代はただ一つの帝国を通過すればよかったが、現代はイラク、イラン、それにアフガニスタンの国が国境を閉ざしたり、入国を制限している。著者はマルコの時代とは異なる苦労を重ね、行く先々の土地に触れ、そこに暮らす人々から見聞きすることで、マルコ自身が体験したことをもとに記事を書いたに違いないと確信する事になる。「東方見聞録」に書かれていることが、著者達が見聞した日常の前に現実のものとなって現れたことで、それは証明されていく。また、かなりのマルコ・ポーロ熱に掛かっていたと思われるコロンブスはラテン語の「東方見聞録」を愛読した。 彼の読んだ「東方見聞録」の写本には、大事なページに細かい書き込みで一杯だったと著者達は直接確認している。コロンブスは航海中、この本を丹念に読んでいたらしい。

■「東方見聞録」に記述された日本:  
フビライ汗の信頼を得たマルコは広大な帝国を見聞して歩くことになったが、西蔵、ミェンマーとの国境にあたる雲南まで足をのばし、「黄金の島」ジパング(日本)のように実際は見たことがない国々の情報を集めた。       
1.ジパングの皇帝がいる「金の屋根」の宮殿を描いた想像図。おそらく京都の金閣寺の事だろうと記述されている。およそ、2世紀の後、マルコの日本に関する記述に魅せられたコロンバスは、「東方見聞録」の写本を抱えてカリブ海に向かった。西インド諸島に達した時、ジパングを発見したと確信したと書かれている。   
2.フビライは日本に興味を抱き、征服をもくろみ大艦隊を送り込んだが、その野望は失敗した。「神風」と呼ばれる台風が日本上陸寸前の大艦隊を奪い、モンゴル軍はほぼ全滅し、日本はモンゴルの支配を免れた。ジパングに向けて出航する大ハーンの艦隊。
      


■困難を極めた中世の頃の旅を予想させる。
      

■「シルクロード」由来の絹
タクラマカン砂漠の町、ホータンの近くに村で、当時さながらに、かまどの大鍋で繭を煮ている。 煮た繭から絹の繊維をとりだす。
         
「東方見聞録」には、この地の風習も記載されている。「遠路はるばる訪れた客を、村の男の一人が家に招待する。そして家にいる女達の中から、一人を選ばせ、何日も好きにさせる。 中国の研究者によると、遠くの土地からの訪れた客に女を分かち合うのは、異なった遺伝子を取り込み、一族の近親結婚の弊害を減らすための古代からの知恵だという」

■辺境の地もホンダのバイク
チベット、ラプラン寺に近い夏河の繁華街。チベット仏教の新年を祝う行事「モンラム」に参加する若者達。
       

著者は『東方見聞録』を片手に、現在の中国を目の当たりにしながら、700年もの時を経てほとんど変わらない姿を見ることは素晴らしかったと述べている。


ここまで、急ぎ足で本を読んだ印象を述べてみたが、実際の本に書かれた内容はもっと奥が深く詳細に調べあげられている。マルコの「東方見聞録」の足跡を、著者が自分の足で実際歩き確認に要した日数は、企画から完結まで4年だったそうだ。そして、「ナショナル ジオグラフィック」誌の2001年の5月、6月、7月号に掲載されたとある。

実は、明石公園の桜はまだ咲いていなかったので、明石図書館で数冊の本を借りることにした。
何時も見て回る場所とは違う棚で偶然この本「再現 マルコポーロ「東方見聞録」」見つけて暫し眺め読んだが、借りた。幾つになっても、マルコポーロだとか「東方見聞録」とかには目が釘づけになるのを止められない。全500ページ、全ページ写真用紙なので厚さが4cmもあって、重い本だ。「ナショナル ジオグラフィック」誌は若い頃に愛読し定期的に購入してきたこともあって、この本を見つけ読みだす癖は今も治らない。

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