凡凡「趣味の玉手箱」

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鳥インフルエンザがヨーロッパに飛び火

2005-10-18 22:35:15 | 中国関連ニュース

鳥インフルエンザがヨーロッパに飛び火



今日は鳥インフルエンザが世界的に流行りだしたというニュースが各紙とも小さな扱いながら目を引いた。かなり深刻な事態になりつつある。

まず読売新聞18日朝刊ではアジアで約60名の命を奪うなど今年前半に猛威を振るった強毒性のH5N1型の鳥インフルエンザがここにきてトルコ(13日)ルーマニア(15日)に飛び火したことを報道している。またブルガリアでは野鳥の大量死が確認されたという。

毎日新聞10月18日夕刊には鳥インフルエンザウイルスがギリシャ(トルコに近いエーゲ海の小島)の七面鳥から発見されたと報道。EU内でのウイルス発見は初めてで、毒性の強いH5N1型か調査中とのこと。

ヤフーニュース10月18日では世界保健機関(WHO)の李鍾郁事務局長は17日、ジュネーブでの講演で、人の間での新型インフルエンザ大流行が「起きる」と断言、発生源は「鳥インフルエンザの大発生が続く東南アジアのどこかになる」との見解を示した。(共同通信)

日本経済新聞18日夕刊には上記記事を含めた総括記事(以下にポイントを載せる)が掲載されていた。(地図は日経新聞から)

・ ウイルスが突然変異して人から人へ感染すれば世界中で1億5千人が死ぬとの見方もある。
・ EUは18日開く緊急外相理事会で欧州域内での蔓延防止に向けた対策(感染地域からの鳥類や鶏肉などの輸入禁止や抗ウイルス剤の備蓄など)で合意する見通し。
・ 米国ブッシュ政権は大流行が大量破壊兵器と同等の安全保障上の脅威との見方を強めており、月内に総合対策を発表する。感染地域からの旅客機乗り入れ禁止や米軍も出動させての隔離措置なども含まれる見通し。
・ 日本政府も薬剤備蓄や行動計画作りを急いでいる。
・ 米欧やWHOは24,25日にカナダオタワで開く初の鳥インフルエンザ対策閣僚会議でアジアなどの途上国に真剣な取り組みを促す。
・ 世界的大流行を防げるかどうかは人から人へうつるウイルスが出現したら直ちに徹底した隔離措置をとるなど「初期封じ込め」が決め手となる。
・ 患者発生国がWHOや各国に即時に通報する早期警報網の整備が不可欠。
・ 米欧などの主要国はワクチン開発を急いでいるが量産には時間がかかる。

このテーマに関しての過去の関連記事は下記をご参照下さい。

http://blogs.yahoo.co.jp/moguma1338/9943802.html
http://blogs.yahoo.co.jp/moguma1338/9942383.html
http://blog.goo.ne.jp/mogmog4649/e/7a13a5da38503da96e2b434292202cb4

飛鳥尽きて良弓蔵めらる

2005-10-18 07:27:53 | 中国のことわざ
中国のことわざ-66 飛鳥(ひちょう)尽きて良弓(りょうきゅう)蔵(おさ)めらる

飛ぶ鳥がいなくなると良い弓が不用となってしまわれるように、用がなくなれば捨てられるという意味。

狡兎死して走狗亨らると同じ意味である

出典:広辞苑、史記(越王勾践世家)、「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」


狡兎死して走狗亨らる

2005-10-18 07:22:14 | 中国のことわざ
中国のことわざ-65 狡兎(こうと)死して走狗(そうく)亨(に)らる

兎が死ねば猟犬は不用になって煮て食われるように、敵国が滅びた後には、軍事に尽くした功臣も邪魔者とされて殺されるという意味。

主人は無情なもので、犬が必要な間は大切にするが、用途がなくなれば犬鍋にでもして食ってしまうというのである。

漢の高祖が傑物として賞賛した韓信を謀反の疑いで捕らえられたときに、韓信が以下のように言っている。

「なるほど、“狡兎(こうと)死して走狗(そうく)亨(に)られ、飛鳥尽きて良弓蔵まり、敵国破れて謀臣滅ぶ”とはよくいったものだ。天下が平定された以上、わしはもうご用済みというわけか」

なお“飛鳥尽きて良弓蔵まり”も“狡兎死して走狗亨らる”と同じ意味である。

出典:広辞苑、史記(越王勾践世家)、「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」


韓信格下げ

2005-10-18 07:19:55 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ-66 漢帝国の成立-5 韓信格下げ

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

昨日は高祖が傑物として賞賛した韓信、蕭何、張良の三人の内張良の引退を取り上げたが今日は韓信である。

かつて韓信は斉王として天下の趨勢の鍵を握っていた。漢王が楚に勝利を収めると、直ちに韓信の軍を取り上げ、楚に転封した。漢王にとって韓信はよほど目障りな存在であったものと見られる。

漢の6年、高祖が帝位についた翌年、楚王韓信が謀反を企てているという上書があった。

これを聞くや「直ちに討伐軍を派遣し、あの青二才を穴埋めにすべきです」と諸将はいきりたった。

高祖は陳平にこのことをはかった。陳平は楚と戦うことの無謀さを説き、策を述べた。

「昔、天子は天下を巡幸しては、諸侯と会合したものです。この際、陛下もこれに倣って雲夢湖(うんぽうこ)に巡幸して諸侯と陳で会合することになさいませ。その席上で韓信を捕らえるなら、造作もないことです」

高祖はこの策に従った。「諸侯に雲夢に南遊する。ついては陳で会合したい」と伝えた。

一行が陳につくと、韓信が拝謁にやってきた。高祖は武装兵に命令して韓信を縛り上げ、従者の車に押し込んだ。

「なるほど、“狡兎(こうと)死して走狗(そうく)亨(に)られ、飛鳥尽きて良弓蔵まり、敵国破れて謀臣滅ぶ”とはよくいったものだ。天下が平定された以上、わしはもうご用済みというわけか」

高祖は縄を掛けた上に枷をはめて、韓信を洛陽に連れ帰った。その後、罪を許して王から侯に格下げして、淮陰(わいいん)候に封じた。