《大学時代に出会った、或る大酒呑みの男の小説》
(24)
冬の工場は本当に寒い。ぼくは寒さが深まるにつれ、どんどん着込んでいった。
まずは秋になり、Tシャツの上にネルシャツを着るようになった。ぼくは当時チェックのネルシャツ愛好者でたくさん持っていたので、古くなって毛羽立ったものを数着、仕事用におろした。さらに寒くなると、ネルシャツの上にトレーナーを着た。作業服はツナギで全体的にゆとりがあるので、着込んでも窮屈でなかった。むしろ隙間が開いて寒いので、着込んで隙間を埋めなくてはならないのだ。
靴下をアウトドア用の厚手のものにして、首のまわりにタオルを巻くようになった。手首の部分がゆるいのでリストバンドをした。そしていよいよ寒さが本格的になると、Tシャツを2枚重ねて着た。気休め程度だが、今のように保温に優れた新素材などないので仕方がない。靴下だって2枚重ねたかったのだが、こちらは安全靴にあそびがないのでできなかった。
下は薄いスウェットを着た。社員は年配の人たちばかりだったので、みんな股引きを着用していた。白くてフィット感のあるそれはスウェットなどよりはるかに暖かそうだったが、ぼくはその着用に非常に強い抵抗を感じたので、うらやましくは思ったがスウェットでガマンした。
つなちゃんはぽっこりどころかぼこっと腹が出っ張っているので、あまり着込むことができないらしくけっこう薄着だった。ポロシャツっぽいシャツこそ着ていたが、トレーナーは着ていなかった。いや、着れない、だったかもしれない。それくらい腹回りが窮屈そうだった。肩とか足はブカブカなのだけど。もちろん股引きは着用していた。
河瀬はバンドマンで痩せぎすと言ってもいいくらい痩せていたので、なんとツナギの下にGパンをはいていた。それでも窮屈でないのだ。
12月のボーナス時には全員にジャンバーを支給された。ドカジャンのような、機能一点張りの冴えないかさばるものだったが、支給物なので汚してしまっても大丈夫という利点があった。ぼくは出かけるときからそのジャンバーを着込んだ。
困るのは呑みに行くときだ。工場ならともかく、街に出ると実にかっこ悪く映るシロモノなのだ。さらにはポケットがないのがとても不便だった。それに手が冷たい。作業時は軍手をしているので問題ないが、車や電車から降りてちょっと居酒屋まで歩くときなど手袋を端折るので、冷たくて困るのだ。手首の部分が広いので、ぼくはよく、昔の中国人のように左の袖に右の手首を、右の袖に左の手首を突っ込んでいた。
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冬の工場は本当に寒い。ぼくは寒さが深まるにつれ、どんどん着込んでいった。
まずは秋になり、Tシャツの上にネルシャツを着るようになった。ぼくは当時チェックのネルシャツ愛好者でたくさん持っていたので、古くなって毛羽立ったものを数着、仕事用におろした。さらに寒くなると、ネルシャツの上にトレーナーを着た。作業服はツナギで全体的にゆとりがあるので、着込んでも窮屈でなかった。むしろ隙間が開いて寒いので、着込んで隙間を埋めなくてはならないのだ。
靴下をアウトドア用の厚手のものにして、首のまわりにタオルを巻くようになった。手首の部分がゆるいのでリストバンドをした。そしていよいよ寒さが本格的になると、Tシャツを2枚重ねて着た。気休め程度だが、今のように保温に優れた新素材などないので仕方がない。靴下だって2枚重ねたかったのだが、こちらは安全靴にあそびがないのでできなかった。
下は薄いスウェットを着た。社員は年配の人たちばかりだったので、みんな股引きを着用していた。白くてフィット感のあるそれはスウェットなどよりはるかに暖かそうだったが、ぼくはその着用に非常に強い抵抗を感じたので、うらやましくは思ったがスウェットでガマンした。
つなちゃんはぽっこりどころかぼこっと腹が出っ張っているので、あまり着込むことができないらしくけっこう薄着だった。ポロシャツっぽいシャツこそ着ていたが、トレーナーは着ていなかった。いや、着れない、だったかもしれない。それくらい腹回りが窮屈そうだった。肩とか足はブカブカなのだけど。もちろん股引きは着用していた。
河瀬はバンドマンで痩せぎすと言ってもいいくらい痩せていたので、なんとツナギの下にGパンをはいていた。それでも窮屈でないのだ。
12月のボーナス時には全員にジャンバーを支給された。ドカジャンのような、機能一点張りの冴えないかさばるものだったが、支給物なので汚してしまっても大丈夫という利点があった。ぼくは出かけるときからそのジャンバーを着込んだ。
困るのは呑みに行くときだ。工場ならともかく、街に出ると実にかっこ悪く映るシロモノなのだ。さらにはポケットがないのがとても不便だった。それに手が冷たい。作業時は軍手をしているので問題ないが、車や電車から降りてちょっと居酒屋まで歩くときなど手袋を端折るので、冷たくて困るのだ。手首の部分が広いので、ぼくはよく、昔の中国人のように左の袖に右の手首を、右の袖に左の手首を突っ込んでいた。