曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・駄菓子ロッカー (3)

2014年01月17日 | 連載小説
(3)
 
Fはこの日、60年代の音を続けて聴いた。半世紀前の曲たちは、体に元気を与えてくれる。寒さが苦手のFだが、なんのそのという気分に、いっときだがさせてくれる。
この曲が流れていた時代であれば、40をすぎてギターをかき鳴らしていたら中年ロッカーと呼ばれていたであろう。しかし今のご時勢、アマチュアミュージシャンを続けているヤツなど掃いて捨てるほどいる。だから特段の呼ばれ方がないので、その点は助かる。不必要に白い目で見られないに越したことはない。
もっともその分、特化もされない。中年ロッカーが珍しければ、駄菓子屋店主というのと相まって取材でも入ったかもしれない。しかしそれは望めなかった。
 
ロック的にはなんら問題のない40代。しかし困ったことに、寒さがより一層体に堪えるようになった。スクーターでの仕入れは、本当につらい。
それでついつい、すさんだ気持ちになる。アタる矛先は政党のポスターだ。
まったくベタベタと街中に、よく貼りよるなぁ。スクーターで冷たい風に当たりながら、Fは道の左右に貼られたそれらに怒りを募らせる。
本当に景観を損なうなぁと思う。安倍総理などうつくしい日本などとスローガンをぶったこともあるのだから、もう少しこういった美観というものを考えてもらいたいってもんだ。
政治化には一律腹を立てているFだが、「我が党は選挙ポスターを一切貼りません」と打ち出す政党があれば、ちっとは評価してもいいと思っている。
すごいのが維新の会で、今もって辞任した都知事を推すポスターが貼ってある。何を考えているのだろう。彼は悪くなかったとでも訴えたいのだろうか。
 
百歩譲って、りっぱなお屋敷の壁に貼ってあるというなら話もまだ分かる。やはりその地区の有力者は政治家と縁が深いだろうからだ。応援や後援などの関係もあろうというものだ。しかしシャッター通りとなった商店街のおろされたシャッターに貼ってあったりすると、まか不思議な気分になってしまう。おいおい、あんたらの政策が悪いからこうなっちまったんじゃねぇのか、と。なのになんでここにしゃあしゃあと貼るかねぇと、Fは首を傾げてしまうのだ。
 
仕入れから戻って、Fは店を開けた。
店は商店街から少しだけはみ出したところにある。テナントが3つ繋がっているが、開いているのはFの駄菓子屋だけだ。端はラーメン屋だったが、昨年秋に夜逃げをしてしまった。
まずはシャッターを開ける。人間の目では分からないひしゃげた部分があるようで、胸の高さで必ず引っ掛かる。そこで一旦息を止めて、気合を入れて持ち上げる。クリーン&ジャークの要領だ。
 
ここで休憩するとまた寒い思いをするのがイヤになるので、開け放したまま掃き掃除を始める。そうそう音が流れていないと、掃除の途中にCDプレイヤーの電源を入れた。
寒いのに合った音ということで、トラヴィスの「The Man Who」を流す。このアルバム、ジャケットが雪景色なのだ。もちろん音の方も、なんとなく酷寒使用だ。
 
掃除を終えたFは、仕入れてきた駄菓子を並べていった。
 
(つづく)