曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

待ち時間 (大原駅)

2012年01月18日 | 連載ミステリー&ショートショート
待ち時間(大原駅)
 
 
昨日東京を出るときから空はどんより鉛色だったが、それでも降り出さずにじっと我慢してくれていた。
 ―― もうちょっと、もうちょっとだからな。
井田は吉沢の別荘を辞去してから、そう念じながら駅へと急いでいた。店もなにもないところで降られでもしたら、かなわないというものだ。
駅が見えたところで小走りになり、辿り着いたところでついに空が堪えきれなくなった。まるで井田が振動を与えたから落ちてきたかのように、水滴がぽつりぽつりときた。ぎりぎりセーフと言いたいところだが、ここでは違った。浪花駅には屋根がなく、列車の到着まで、ゆうに15分もあるからだ。
その水滴、落下が妙にゆっくりで、コートに付着すると白い色を一瞬浮き立たせる。どうも雨ではなく雪のようだった。寒がりの井田は肩をこわばらせながらため息をつく。温暖な房総に来て雪に降られるなんて、まったくツイてない。ついたため息が白く煙状に広がり、より寒々しさを際立たせた。
列車が来るまではひたすら小さく足踏みするだけで、15分が1時間にも感じられた。昨日降り立ったときには情緒たっぷりのいい駅だなぁと思ったのが、こうなってみると単なる田舎駅だ。中空に舞っているものはゴミのような粉雪だったが、列車に乗り込んだときにはかなりコートが湿っぽくなっていた。
 
「おい井田、別荘なんてものをこしらえたんだが、一晩飲み明かしに来ないか」
飲み仲間からそう誘われ、ウキウキしながら向かったのが昨日。真冬の寒さも気にならなかった。来てみればなんのことはない、別荘ではなく農家の離れだったが、「秘密基地」と吉沢が言うだけあって家族の姿がなかったので、井田としては気楽な時間をすごすことができた。
しかし楽しい時間はあっという間で、すでに日曜も昼をまわった。あまり遅くなると翌日の仕事に差し支える。有給を取ったという吉沢を置いて、井田は気の滅入る日常へと戻って行ったのだった。
 
間もなく次の大原だ。列車に乗ってから、このまま乗って行こうか大原で降りて特急に乗り換えようかずっと迷っていた。普通列車はのんびり座れているし、特急への乗換は30分ほど待たされるので東京着にほとんど違いはない。それなら特急料金も浮くことだし、普通列車で行っちまおうか。そう考えていた井田だが、しかし寒さがどうにも緩んでくれない。普通列車は各駅停車で、きっと停まるごとに冷気が容赦なく入り込んでくることになる。ただでさえ二日酔いで弱っているのだ。酒飲み旅行で風邪引きましたじゃシャレにならないということで、井田は結局、大原で特急を待つことにした。
 
大原では井田の他にもぱらぱらと人が降りた。なにしろ外房線の中で、内房線と重なっていない区間では東金とここだけが乗換のある駅なのだ。多少は人の流れがあったって不思議ではない。ここからは房総半島の内陸に向かって、いすみ鉄道が出ていた。
特急が停まる駅だから屋根とか待合室くらいはあるんじゃないかとは思ったものの、先ほどの波花のこともあるので分かったもんではない。自販機すらなかったらどうやって寒さを凌ごうと心配していたが、しかしさすがに乗換駅で、降りてみるとまずは待合室にあるキオスクが目に入った。
 
せっかく時間があるのだからと、いすみ鉄道の方を覗いてみる。
 ――あれ、すごい充実ぶりだなぁ、おい。
改札前のスペースには、土産物やグッズがところ狭しと並べられていて、人だかりができていた。まったく予期していなかったところでの意外な賑わいに、寒さが少し和らいだ。ひと気があるのとないのとでは、全然違うものだ。
改札の向こうの小さなホームには一両だけのディーゼル車が停まっていて、何人かが携帯電話やカメラを向けている。たしかに鉄道ファンならずとも1枚撮っておきたい気にさせる眺めだ。
降りてよかったと、井田は思った。ここなら30分ほどの時間はすぐに経ってしまうだろう。さっそく土産を見てみる。い鉄揚げという煎餅に、ディーゼル車の箱に入った最中。かりんとうにレトルトカレー、海産物まである。どれもこの路線ならではのオリジナル商品で、何を買おうかパッと決められないほどの数だ。そうこうするうちにディーゼル車が発車していったが、どうりで売店周辺がばたばたしていたわけだ。きっとあれに乗り込んだ観光客は、ギリギリまでどれを買おうか迷っていたことだろう。時刻表を見上げるとほぼ1時間に1本で、まさか土産のために1本遅らせるわけにもいかない。
 
土産は食べ物だけではない。じっくり見ていく前に一息入れようと、駅舎から出て自販機に寄ると、それがディーゼル車そっくりに塗られていた。さっきの黄色いのと、肌色と赤のもの。井田は思わずニヤついてしまった。
 ―― 今度やつの別荘に行くときは、ちょっと早めに来てこれに乗ってみるかな。
井田は粉雪にもかまわず、買った缶コーヒーを飲みながら、ディーゼル車の去った無人のホームをしばらく見ていた。
 
(おわり)