曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

『駅は物語る』 11話

2011年12月13日 | 鉄道連載小説
 
 
温泉の付く駅 2
 
 
鬼怒川温泉駅は、千路が思い描いていた温泉駅とはかけ離れていた。曇り空の夕刻に浮かぶ灯りはホーム全体をしっかり照らし、跨線橋に錆びついたところは見当たらない。改札は自動。券売機や路線図に汚れはなく、都心の駅となんら変わらない。駅舎の中は天井が高く、広々として鄙びた印象はこれっぽっちもない。ロータリーは整然としていて、ハッピ姿の呼び込みなど一人もいない。遠くまで来たなぁと思えるところは、駅からは一つも受けることなく、二時間乗りっぱなしで腰がぱんぱんに張っていることだけがここまで来た証となっていた。
しかし彼は、駅舎を出たところの眺めに気を奪われて、そんな駅の雰囲気にはまったく気がまわらなかった。
 
千路は、一種幻想的な景色をぼんやり見つめた。
霧雨とも言えないほどのこまかな雨粒が、空気の中を漂っていた。あまりに軽いので、風はなくとも落ちていかないのだ。鉛色の背景に、街灯と車のライトが輪郭を淡くしている。山はすぐそばまで迫っているはずなのに、霧が包み隠してしまっている。その中でぼんやり浮かぶ、ホテル三日月の電飾看板。
これが夜になれば、霧も鉛色も暗闇に飲まれてしまうことだろう。しかしこのひとときだけは、薄くともすべてのものを個別に識別できる。
 
このまま景色を楽しんでいたかったが、寒さが極まったので踵を返して駅舎に入った。何か温かいものを体が欲していた。
キオスクのとなりに、立ち食いそば屋の跡を見つけた。残念に思う。今ならとてつもなく美味しく感じたに違いない。なにしろ大した防寒対策もせずここへ来てしまったのだ。
 
キオスクに温かい食べ物はなく、千路は仕方なしにホットの缶コーヒーを買ったのだった。
 
 
(つづく)