もちさんの登場が講堂の場合、その合間をぬって観るのに好都合な博物館。
江戸時代に定着した武家の正月の習い“具足飾り”。
彦根城博物館では毎年井伊家歴代当主の具足(甲冑)を飾ります。
2013年の具足飾りがどの当主の具足になるのかは、年内に上がっていたニュースをネットで拝見していたので存じていました。
今年の具足飾りは“虎松しゃん(井伊直政公)”の“朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足(しゅうるしぬりこんいとおどしおけがわにまいどうぐそく)”です!
井伊家の具足の中で最も有名なのがこの虎松しゃんの“金箔押しの天衝脇立(てんつきわきだて)”を付けた兜の具足ですが、実用性を重んじた虎松しゃんは一説には戦闘の邪魔になるため、この天衝を実際には付けてはいなかったとも謂います。
それも一理ありますが、自己顕示欲の旺盛だった虎松しゃんが戦の最中、本陣の家康からいつ何時でも発見してもらえるように付け続けていたかもしれない可能性も充分考えられます(苦笑)
同じ展示スペースにあった大小の2対、拵えや刀装具の違いがとても対象的です!
こちらも歴代当主の差料ですが、こちらは戦のなくなった泰平の江戸時代のもの。
柄巻や鞘に施された白が際立ちます。
こちらは一見すると地味ですが、それは華美な飾りを排した実用一点張りの武骨さのためです。
鞘に塗り模様など一切なく、柄巻もどんなに返り血を浴びようとも滑りにくく汚れも目立たぬかのような漆黒の拵え。
どちらも作られた時代を反映しての事ですから、甲乙をつけることなど無粋です。
でも武骨と書いたこちらの大小、もうお気付きかもしれませんが、こちらこそが虎松しゃんの佩刀なのです!
「あいあい、しょろしょろ刀の講釈は区切ってもらってもいいでしゅかね?」
「こ、これは失礼しました!
お待ちしてました、もちさん」
2013年1月3日
彦根城 博物館内 講堂
第参陣 最終回
赤備えを受け継ぐ現代のぬこ編
「最後の回でしゅね、いきましゅ!」
そんな決意を胸に秘めていたであろうもちさんが眼前を通り過ぎていきます!
もちさんがその身に盛大な拍手を纏うと自らの力に変えていく瞬間です。
「(こにょ声援・・・いつもいつもありがたいでしゅ)」
そんなもちさんの感謝が背筋を真っ直ぐにさせます☆
バナナの影まで凛々しく見えます(笑)
「しょの期待をひこにゃん裏切りましぇんよ」
「いえっしゅ!」
これ以上広がらない腕を精一杯広げ!
目に光を宿し!
横顔をも魅了する井伊家のぬこ!
「しょれ!」
“鈴自慢!”
&ターン!
なんてラブリーなアングル!
「もう一個いきましゅ」
「こりで!」
「ひこにゃん、逆、逆!」
「もももちろん知ってましゅとも!」
「えーっと」
「えっと・・・」
「こりだ!」
「(ホッ)」
さらに入れ替えは続いていくので、お兄さんから退室しても再び列の最後部に並んでいただいて構いませんと告げられると…
「あい、講堂を~」
「出てから~」
「後ろに並んでも~」
「オッケーでしゅ!」
「そりじゃあ!」
私が観た1月3日のもちさんはこれで全部です。
外は既に雪でした。
彦根に積もる雪のスピードにはいつもビックリです。
おことわり )
ひこにゃんは言葉をしゃべりません。
このブログの中でひこにゃんに付けている激しいセリフの数々は
管理人の空耳です。
おまけ )
尾ビレが隠しきれていないもちバッグ(笑)
江戸時代に定着した武家の正月の習い“具足飾り”。
彦根城博物館では毎年井伊家歴代当主の具足(甲冑)を飾ります。
2013年の具足飾りがどの当主の具足になるのかは、年内に上がっていたニュースをネットで拝見していたので存じていました。
今年の具足飾りは“虎松しゃん(井伊直政公)”の“朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足(しゅうるしぬりこんいとおどしおけがわにまいどうぐそく)”です!
井伊家の具足の中で最も有名なのがこの虎松しゃんの“金箔押しの天衝脇立(てんつきわきだて)”を付けた兜の具足ですが、実用性を重んじた虎松しゃんは一説には戦闘の邪魔になるため、この天衝を実際には付けてはいなかったとも謂います。
それも一理ありますが、自己顕示欲の旺盛だった虎松しゃんが戦の最中、本陣の家康からいつ何時でも発見してもらえるように付け続けていたかもしれない可能性も充分考えられます(苦笑)
同じ展示スペースにあった大小の2対、拵えや刀装具の違いがとても対象的です!
こちらも歴代当主の差料ですが、こちらは戦のなくなった泰平の江戸時代のもの。
柄巻や鞘に施された白が際立ちます。
こちらは一見すると地味ですが、それは華美な飾りを排した実用一点張りの武骨さのためです。
鞘に塗り模様など一切なく、柄巻もどんなに返り血を浴びようとも滑りにくく汚れも目立たぬかのような漆黒の拵え。
どちらも作られた時代を反映しての事ですから、甲乙をつけることなど無粋です。
でも武骨と書いたこちらの大小、もうお気付きかもしれませんが、こちらこそが虎松しゃんの佩刀なのです!
「あいあい、しょろしょろ刀の講釈は区切ってもらってもいいでしゅかね?」
「こ、これは失礼しました!
お待ちしてました、もちさん」
2013年1月3日
彦根城 博物館内 講堂
第参陣 最終回
赤備えを受け継ぐ現代のぬこ編
「最後の回でしゅね、いきましゅ!」
そんな決意を胸に秘めていたであろうもちさんが眼前を通り過ぎていきます!
もちさんがその身に盛大な拍手を纏うと自らの力に変えていく瞬間です。
「(こにょ声援・・・いつもいつもありがたいでしゅ)」
そんなもちさんの感謝が背筋を真っ直ぐにさせます☆
バナナの影まで凛々しく見えます(笑)
「しょの期待をひこにゃん裏切りましぇんよ」
「いえっしゅ!」
これ以上広がらない腕を精一杯広げ!
目に光を宿し!
横顔をも魅了する井伊家のぬこ!
「しょれ!」
“鈴自慢!”
&ターン!
なんてラブリーなアングル!
「もう一個いきましゅ」
「こりで!」
「ひこにゃん、逆、逆!」
「もももちろん知ってましゅとも!」
「えーっと」
「えっと・・・」
「こりだ!」
「(ホッ)」
さらに入れ替えは続いていくので、お兄さんから退室しても再び列の最後部に並んでいただいて構いませんと告げられると…
「あい、講堂を~」
「出てから~」
「後ろに並んでも~」
「オッケーでしゅ!」
「そりじゃあ!」
私が観た1月3日のもちさんはこれで全部です。
外は既に雪でした。
彦根に積もる雪のスピードにはいつもビックリです。
おことわり )
ひこにゃんは言葉をしゃべりません。
このブログの中でひこにゃんに付けている激しいセリフの数々は
管理人の空耳です。
おまけ )
尾ビレが隠しきれていないもちバッグ(笑)
さらには、分冊百科みたいに「週刊 もちバッグ」とかでもいいかもしれません。
実際、もちバッグの柄って、何パターンあるんでしょうね。
ではでは
博物館展示品のことが詳しく書かれているので、本日の絶好の解説書として活用させて頂きます!もちろん、もちさんの仕草も含めですww
タイムリーで今“日本の城”で彦根城特集でしたね。
似たような形でくまモンは既に5~6冊のムック本が出版されていますよね、付録でブラケットやトートバッグにチャームも付いてたりと、かなりの豪華さで次々売り出されていて羨ましい限りです。
もちさんが同じ事が出来れば今年着いた年賀状以上の売上発行部数を打ち立てるんじゃないかと思いますけど、きっとそれは難しいんでしょうね・・・
私的には北村会長が着てらっしゃる“もちT”が付いてくれたら嬉しいです♪
>素敵☆
朝コメントをいただいた時は仕事モードから瞬間解放されてウキウキさせていただきました☆
他の方が行っているというのに、どうしてこんなにもワクワク出来るのか不思議ですwでもこれはきっと私だけが感じる想いではないはず!
どらさんが向かった事を知った人なら同じように思われるでしょうね、そんなたくさんの想いを知らず知らず背に受けて今日どらさんは彦根に立ったんでしょうねwww
今日は平日でしたから良いシチュエーションに遭われていたら善いんですけど☆
今朝彦根駅から見えたお城は今までと違って石垣がはっきり見えるようになっていませんでしたか?
ビックリしました。水玉模様みたい
対する虎松しゃんの刀の意匠・・・ああ、これぞ井伊家を背負って立つ当主ですね!
きっと、もちさんからの教えを胸に、井伊家のため、主君のためにこの太刀を振るったのでしょう・・・
そんな虎松しゃんのお師匠である、もちさん。
いえっしゅ!の時と鈴自慢のときの、つましゃきが☆
か、かわゆい・・・
メロメロです~~vvv
もちさんグッズ、出してくれたら嬉しいですよねぇ~
二対の大小(打刀と脇差)を対比すると歴然としてますよね、フフフ確かに“水玉”に見えます見えますwww
戦国時代を生きた虎松しゃんなら「余計な飾りなど無用!」と云わんばかりの明快な拵えですよね。
ですが時代が下って江戸時代に入ると大小は最早儀典用などの飾りに等しく拵えも豪華さを増していったようです。
そんな時代になると飾りの乏しい拵えは、むしろ田舎侍のような蔑みを受けてしまった事でしょう。
また幕府はいつまでも戦国の気風を残す風潮を嫌い、さらに大名が蓄えを持つ事も好まず、常に散財させるような役目を負わせました。
幕府に逆らうための軍資金を持たせないためです。
そんな幕府の狙いを敏感に感じ取っていた大名は、自ら高い調度品や茶器、高級食材を買い求めている事を宣伝して、無駄遣いアピールを幕府にしていたと謂います。
ましてや徳川家に忠実な家臣第一等の地位にある井伊家の当主は、一目で高価と分かる拵えや刀装具に凝る事によって、幕府の方針を率先して実践する忠実さの表れとなっていたはずです。
私が“どちらも作られた時代を反映しての事”と書いたのはそういう訳なんです。
でももし虎松しゃんだったら、そんな時代でも「下らぬ、そんな刀で徳川家(とくせんけ)の先手が務まるものか!」と嘯くのではないでしょうかw
息子の直孝は正にそんな意気込みで水戸光圀(水戸黄門)をあしらったと謂う逸話が残っていますからね。
もちさんのパーツはどうしてこうもグサグサ突き刺さってくるんでしょうね、トミーさんw
そうやって書いてくれたところは私も戻って再び見てしまってますwww