しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

花と龍  (福岡県若松港)

2024年07月04日 | 旅と文学

著者・火野葦平は、本名・玉井勝則さんで、
この本に「勝則」として登場する。
父の名は玉井金五郎氏で、本名で登場し、小説の主人公。

小説には人も会社も、ほぼ実名で書かれていて、若松港の生の歴史を見るようだ。
洞海湾は製鉄、石炭が集約する日本を代表する繁栄地だった。
主人公の金五郎は沖仲士の労働条件向上に義侠心をもって闘った。

そんな父のことを火野葦平は書き残し、伝えたかったのだろう。
小説には親族で、アフガニスタンで亡くなられた故・中村哲氏家族も登場している。
中村さんにも洞海湾の金五郎と同じ血が流れているのだろう。

 

 

 

・・・

旅の場所・福岡県北九州市若松区 
旅の日・ 2015年2月20日  
書名・花と龍
著者・火野葦平
発行・岩波文庫 2006年発行

・・・

 

 


その夜、寝る前に、毎日の習慣の日記をつけたが、一段と肉太い字で、
「実二、実二、腹が立ツ」
と書いたきり、後を続ける気持が起らなかった。
(一体、どうすればよいのか?)
的確な行動の手段が、頭に浮かんで来ないのである。
金五郎は、日記の前のページを繰ってみた。
-三菱炭積機建設問題。

その夜、寝る前に、毎日の習慣の日記をつけたが、一段と肉太い字で、
「実二、実二、腹が立ツ」
と書いたきり、後を続ける気持が起らなかった。
(一体、どうすればよいのか?)
的確な行動の手段が、頭に浮かんで来ないのである。これまで、どんな事態に対処しても、
熟慮して判断を下せば、強い意志力と、なにものにも屈しない実践力とで、すべてのことを解
決して来た。それなのに、 今度の問題は、金五郎を当惑させる。昏迷させる。
(おれは、馬鹿じゃ)
と、自信を喪失する気持にさえなるのだった。
金五郎は、日記の前のページを繰ってみた。
-三菱炭積機建設問題。
この文字は、一年間以上も、前の日記に、いたるところ、散見している。
前年四月、上京したときには、三菱本店を訪問した。
四度も行ったのに、四度とも玄関払いを食わされた。

この 問題は、年が改まってから、にわかに表面化した。
「洞海湾における数千の石炭仲仕は、石炭荷役をすることによって、僅かに、生きている。 
然るに、次々に、荷役は機械化されて、仲仕の仕事は減少した。
仲仕の生活は、貧窮の底に叩き落された。
このうえ、またも、三菱炭積機が建設されるということは、そのまま、仲仕の飢 餓と死とを意味する」

この明瞭な道理によって、反対運動が起されたのである。
それが、うまく運ばない。
立ちふさがる暗黒の壁の中に、金五郎は、この親分の鋼鉄の顔を見るのであった。
(友田喜造と、いよいよ、最後の対決をせねばならんときが来た)

四月七日小頭組合総会。
この日に、三菱問題は、まったく新しい展開をしたのであった。
金五郎は、組合長として、悲痛な宣言をした。
「昨今のような状勢では、もはや、現在数の仲仕や、小頭は、必要ありません。餓死を脱んとしますなれば、大部分の者は、長年馴れ親しんだ仕事に訣別して、転業するの一途です。 
すべては機械のためです。
しかし、それは今度の三菱機だけのためではありませんから、荷主全体、つまり、石炭商組合から、救って貰う外はありません」
このため、小頭組合として、三菱、三井、麻生、住友、貝島、その他を含む「若松石炭商同業組合」に対して、
転業救済資金、二十五万円を要求する決議がされたのであった。
沖仲仕労働組合も、全面的に、これに同調した。
歎願書が作製された。
ところが、その役目を引きつけたのは、友田喜造であった。

 

 

洞海湾の水の色が、梅雨に濡れた後、やがて、夏雲を映すようになった。
戸畑側の新川岸壁には、三菱炭積機が、着々と、工事を進められた。
港には、なにごともないように、日夜、船舶が出入した。
聯合組の隣りに、「若松港汽船積小頭組合」の事務所がある。
その看板とならんで、三倍も大きな、「争議本部」の新しい板札がかかげられた、小頭組合の裏にある「玉井組詰所」の二階に、「若松港沖仲仕労働組合」の看板がかかっている。赤地に、スコップ、雁爪、櫂を組 みあわせて図案化した組合旗が、ひるがえっている。明治建築の名残りをとどめている「石炭商組合」の事務所は、そこから、一町とは離れていない。
これらの建築の間を、このごろは、 連日、あわただしげに、多くの人々が右往左往し、殺気に似たものがただよっていた。 

「この争議はどうなるとじゃ?」
「石炭商が強硬で、てんで、話にならんらしいわい」
「資本家は、おれたちゴンゾが乾干しになろうが、のたれ死にしようが、なんとも思わんのよ。痛うも、痒うもねえとじゃ」
「人間と思うちょらん」

 

 


翌朝、いつもと同じように、機嫌よく、子供たちと、朝食をした。
「お父さんの作夜の「ゴンゾ踊り」、面白かったわ。また、見せてね」
御飯を食べながら、女学生の繁子がいった。 
里美も同意見とみえて、姉といっしょに、父の顔を見た。
金五郎は、にこにこと、踊ってみせる。
「勝則」
金五郎は、息子を呼んだ。
「はい」
「今日は、十時から、争議本部で、小頭組合の評議員会をすることになっとる。お前も行っといてくれ。
無論、おれも行くが、もし、行かなんだら、万事、お前 が処理をしてくれ。ええな?」
「承知しました」
八時すこし前、金五郎は、「小頭組合」の半纏を着て、家を出た。
今日も暑そうな上天気らしい。
すでに、入道雲が純白の頭だけを、高塔山の背後にのぞかせている。
安養寺に寄った。
墓地に行った。
「玉井家累代之墓」と彫られた、花崗岩の墓標の前に立った。合掌した。

 

 

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