しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

海軍特攻兵 (震洋)

2021年06月21日 | 銅像の人
場所・高知県香南市夜須町住吉海岸  "震洋隊殉国慰霊碑" 


第二次大戦中、まったくの無駄死といえば、まっさきに吉村昭の『陸奥爆沈』でも知られる、
戦艦陸奥の謎の沈没、それによる1121名の殉死を思われる。

ここ高知県では終戦の翌日、特攻兵器”震洋”が謎の事故で爆薬が発火して111名が無駄に死んだ。
死んだ特攻兵は、たいはんが予科練生であろうから16歳~18最くらいの兵士であっただろう。

特攻兵器で死ぬために配置され、終戦により生きて帰るのが決まった翌日の死はあまりに悲しい。





震洋は昭和20年から21年、予想される米軍の本土上陸を阻止する兵器(1人乗り、または二人乗りのボート)。
日本本土の他に、台湾や朝鮮にも配置されていた。

「最終決戦」のために準備された特攻兵器


空からの特攻は、
戦闘機から複葉の練習機まで使われた。
ロケットモーター付グライダーの桜花。
海からの特攻は、
人間魚雷回天、甲標的を改良した「蛟龍」、アクアラング付けた兵士が爆薬の棒でつつく「伏龍」、
主力となったのが、
「震洋」である。

べニア板で造られたモーターボートの艇首に250kgの爆薬を詰め、暗闇を利用して敵艦に体当たりするというものであった。
予科練や予備学生が操縦要員に当てられ、終戦までにおよそ6.200隻が造られた。
「震洋」は本土決戦に備えて九州、四国、関東地方などに配置され、50隻で一隊とする無数の震洋部隊が編成された。
本土決戦が行われなかったが、一部の震洋はフィリピンや沖縄で戦っている。

「日本本土決戦」 新人物往来社 2002年発行








この震洋隊殉死111名の死者数は、比較してみる。
日露戦争の、「日本海海戦」で日本側連合艦隊の死者数が117名。(バルチック艦隊側は4.830名)
太平洋戦争の、「人間魚雷回天」の出撃戦死者数が87名、訓練死を含めると148名。

ここ高知の海軍兵は、
戦果も、武功も無関係での死。
武装解除による軍人で無くなる日の死。
悲劇というしかないが、事故解明がされず二重の悲劇になっている。








昭和20年8月16日、爆死した日本兵で血の海になった海岸。
日本の復興の中心になるはずだった、若い担い手111名が散った。
今年の夏で、その日から76年になる。


撮影日・2012年4月4日



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