しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

行商人のこと

2017年01月17日 | 暮らし
行商人は毎日来る魚屋から、年に一度の置き薬屋までさまざまあったが
いつの頃からか消えた。
今は店にも行かずネット注文も増えた。
昨日は妻がアマゾンに注文した荷物が2度、宅急便で届いた。

「矢掛町史」より転記する。

---------------

行商

魚の行商が最も多く、小田、中川、川面には笠岡の西浜から来ていた。また矢掛、美川、山田、三谷には富峠を越えて玉島、寄島から自転車やテンビン棒でかついで持ってきていた。
小間物の行商も地元の商人が小間物箱に入れて売りに来ていたが、女子が丸髷を結わなくなると来なくなった。
竹細工の箕や籠、熊手なども井原の七日市、美星町三山から田植え前にテンビン棒かついで売りにきていた。
反物、呉服は地元の矢掛や小田の商人が売りにきていた。
これらの支払いは現金か米などと交換した。

出買は、魚以外の食料品はほぼ自給できたし、日用品は村内の万屋で買うため、春秋の祭り前に、魚、乾物、日用品を矢掛や小田の商店街に買いに行く程度だった。
タンスなどの家具類は井原で購入し、農具類は小田、矢掛で間に合った。
出買の習俗としては正月三が日は財布の口を開けなかったし「トクンチ」といって自分の干支の日にも買物はしなかった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 福山駅前の信号機【昭和36年】 | トップ | 寄島の通学船 »

コメントを投稿

暮らし」カテゴリの最新記事