しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

山鹿素行

2021年06月02日 | 銅像の人
場所・兵庫県赤穂市  赤穂城跡
制作・作者不詳
設置・昭和33年


山鹿素行

1622~1685
江戸前期の儒学者・兵学者。
会津生まれ。
官学である朱子学を批判したため、播州赤穂藩に流される。
配流中に藩主や重臣に尊敬され、この間に素行の学問を代表する著を完成している。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行





「日本史人物列伝」  奈良本辰也  徳間文庫  1988年発行

山鹿素行

義士の行動に大きな影響を与えた山鹿素行は、
軍学者であるとともに、すぐれた儒学者であった。
官学である朱子学を批判して古学を唱導したために、赤穂の浅野家に預けられ、
そこで配所の月を眺めながら長年月を過ごしたことがあった。
その時、家老であった大石家とはとくに交友が深く、
内蔵助にも大きな影響を与えていたと思われる。
素行が唱えた武士道は、
江戸時代の武士の経典にように信じられたが、
それは、それまでの武士道の考え方とは少し変わっていた。
素行の武士道をみると、
「人事を尽くして天命を待つ」ということばがそのまま通用する教えであった。
泉岳寺でもすぐに腹を切らないで、
後は公儀の決定に従うというやり方は、まさに素行の教えの実践であった。










撮影日・2018年12月14日

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