しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和20年代の農作物

2021年08月16日 | 昭和21年~25年

「鴨方町史 本編」  鴨方町  平成2年発行

昭和20年代の農作物
戦時中からの食糧増産政策が肥料需給率の低下で生産高を低下させ、
これに兵員に徴発されたことによる労働力不足が重なって農業を停滞させる結果となった。
戦後になっても事情は変化しなかった。
戦後の食糧難は深刻で、甘藷を栽培して食糧とすることも多かった。
昭和20年に74.5町で甘藷が栽培され、15万貫を生産しているが、
昭和24年には同一栽培面積で、26万貫を生産している。
畑作物の食用農産品の第一が甘藷であり、大根などを圧倒して栽培されていることに、
食糧難の世相が反映しているといえる。

昭和25年にはじまる朝鮮戦争を契機とする日本経済の活性化の中で、甘藷栽培も減少し、ようやく経済再建のきざしが見えはじめ、
このころから、戦前から特産品の一つになっていた桃の栽培が拡大する。
昭和20年に671本であった桃は昭和30年には1.5倍に拡大する。
梨と葡萄は停留し、
葉煙草が拡大傾向を示した。

昭和20年に185人が昭和26年には100戸増えた。専売品で安定で、換金する農家が増加した。
戦時中の輸出減退の中でバンコック帽や麦稈真田の極度の不振で、戦後になっても輸出は伸びす、国内向けの生産に切りかえ、総じて販売は拡大しなかった。


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