しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

立ち小便する「東京」

2021年10月11日 | 昭和21年~25年
「京女 立ってするのが 玉に疵」

祖母は、夏にアッパッパを着ることはあったが、下着は襦袢の一生だった。
とうぜん家でも畑でも、”立って”していたが、京女には程遠い農山漁村の貧しい農婦だった。
「もはや戦後ではない」(昭和31年)といわれた時代でも、その後でも、田舎の明治生まれの女性は、皆そうだったように思う。








「週刊朝日」の昭和史・第二巻   朝日新聞社 1989年発行

立ち小便する「東京」

渡辺伸一郎(←NHK「私の秘密」の人・管理人)

今の東京は衣食住の三難に加えて、交通の第四難がある。
省線(JR)も昔のような正確無比、快適を誇っていたのとは事違い焼け残りの少ない車を無理に酷使、修繕もせぬ。
椅子のビロードが剥がれて中のバネや馬の毛みないな腸まではみ出していて、
これがことごとく発疹チフスのシラミの巣窟。
こうした車に、どっとばかりに押し乗り、まだどっと出る。寿司詰のことを西洋では「缶詰の鰯」という。
いつの日か、この缶詰にお目に掛かるであろう時、
「まるで敗戦直後の電車のようだ」と形容することであろう。

都の真ん中で、至るところ立ち小便できるのは敗戦日本の役得だ。
銀座の横丁で、焼け金庫の周りに麦を作る今日だ。
たまに共同便所があっても、黄金水の洪水で、底に穴の開いた安靴では踏み込むことは愚か、近寄ることすら出来ぬ。
焼け跡の立ち小便こそ便利なれ、よくぞ男に生まれけるだ
ある女代議士候補者はラジオで「何たる醜態でしょう、外国のお客様に笑われますよ」と放送していたが、男性を羨んでの故かも知れない。
「京女 立ってするのが 玉に疵」とあるからどうせ今や日本は世界に尻を捲って恥をさらしているのだ。
小便ぐらい何が恥ずかしかろう。

闇の女、百鬼夜行というのは昔の話。今や・・・・、
明るみの女、千鬼昼行である。

東京本社社会部 昭和21年6月2日





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