しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

集団就職②新卒者を迎えた井原市繊維工業界

2020年11月25日 | 昭和36年~40年
昭和40年ごろ毎年の春、テレビの地方ニュースでは集団就職を報道していた。
場所は児島市(現・倉敷市)か井原市高屋町で、セーラー服の女性が集団で入寮するシーンが多かった。


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ニュー井原新聞・昭和35年4月5日号

新卒者を迎えた井原市繊維工業界
地区ぐるみの暖かい抱擁を
千人の求人に三百人の充足



笠岡職安井原出張所の手を通じて繊維関係の工場に就職した者は、若干の過年度卒業者を含めて約三百人である。
近来全国的に、求人数は求職者数を大幅に上回り、明年度以降も更にこの傾向よりの好転が期待できないという状況のもとにあっては、
これら新しく職場に入った人を固着せしめ、地域産業全体の興隆発展に資するかは、受け入れ者にとって実に重大な課題であると思う。
これら幼くかよわい産業戦士の大部分を、年々才々遠い県外から迎える一般市民にとっても、住みよい、働きやすい社会環境を供与するという問題については
、認識を更めておく必要がある。
弊紙ではこのほど、笠岡職安井原出張所を訪ね、平松所長からいろいろと聞いてみた。


今年度井原市内の繊維関係事業場から出された求人数はざっと千人。
これに対する充足数は約三百人。

内訳は
中学新卒が240人、
若干の過年度卒業生、
高卒者が混じっているのが特異だが、今後は高校生獲得に意をもちいなければならぬだろう。

充足先は、
山口県110人、
香川県16人、
岡山県17人、
あとは、鹿児島県63人を筆頭に九州全県。

30%しか充足できない現状について平松所長は、
中卒者の絶対数が少ない。
給与・福利厚生が十大紡に太刀打ちできない。
急激にノシてきた弱電関係が、段違いの好条件でさらっていく。

大企業に真似のできない良さでや、縁故関係、
職場と寄宿舎の、明るく働き易い施設設備、
社長や社長夫人が親身の相手になってやる。

新卒者がホームシックや職場に馴染めなくなり帰郷するのは、大体一か月前後で月平均2~3%と推定される。
これら離脱者は、自分の辛抱できなかったことは言わず、就職先の悪口を理由にする者が多く、来年度の求人に支障となってあらわれる。
反面、いい便りが親許なり出身校に届けば求人の好結果をもたらす。


各職場からの求人要項の中には、
和洋裁、生花、茶道、その他将来家庭の主婦となるための教養をつけることを謳っており、
そのこと自体は立派なことではあるが、現実には回を重ねることに習う方の人数は減り、しまいには先生一人が残るという珍現象の例も少なくない。
昼間働きながら勉強するという特殊な事情は、抑圧を避け、解放の一時が介在しなければ効果をあげることができない。

以上語ったあと、平松所長は、
「女工」という言葉に変わる、もっと柔らかく、聞きざわりのよい言葉はないでしょうか、私自身は「従業員」という表現を用いていますが、おしえてほしいですね。
そして地域社会の皆さん方も、これら従業員に暖かいねぎらいの言葉をかけてやって頂きたい、と結語した。

なお井原市では5月中旬ごろ、新卒者の就職激励大会を催す計画を進めています。

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