「矢掛町史」 矢掛町史編纂委員会 ぎょうせい 昭和57年発行
昭和12年7月に勃発した日華事変は挙国一致とか尽忠報国などの言葉とともに拡大を続け、
次々に大規模な軍事動員が行われ、出征した郷土部隊の奮戦ぶりが「赤柴部隊の活躍」として
華々しく新聞の号外で伝えられた。
(赤柴部隊の号外)
また、出征軍人に送る「千人針」を求める婦人や武運長久を祈る神社参拝の群れが多くみられ、
駅頭では出征軍人を送る日の丸の旗の波や、
手に手に日の丸の小旗をうちふる小学生たちの「万才」の声がしばしばわき起こったのである。
矢掛町でも同年8月29日には銃後の守りを固くする義務から銃後後援会ならびに軍友会が結成され、
3月には県の満蒙開拓青年義勇団も第一次隊171名が訓練所へ出発している。
昭和12年7月に勃発した日華事変は挙国一致とか尽忠報国などの言葉とともに拡大を続け、
次々に大規模な軍事動員が行われ、出征した郷土部隊の奮戦ぶりが「赤柴部隊の活躍」として
華々しく新聞の号外で伝えられた。
(赤柴部隊の号外)
また、出征軍人に送る「千人針」を求める婦人や武運長久を祈る神社参拝の群れが多くみられ、
駅頭では出征軍人を送る日の丸の旗の波や、
手に手に日の丸の小旗をうちふる小学生たちの「万才」の声がしばしばわき起こったのである。
矢掛町でも同年8月29日には銃後の守りを固くする義務から銃後後援会ならびに軍友会が結成され、
3月には県の満蒙開拓青年義勇団も第一次隊171名が訓練所へ出発している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます