しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

中国地方の子守歌

2023年01月16日 | 民謡

 

中国地方の子守唄

妻は井原市の生まれで
その妻に、「(自分や妹・弟が)中国地方の子守歌を唄ってもらっていたか」聞いてみると、
「まったくない。そもそもその歌を知り、高屋の歌であることを知ったのが20歳を過ぎてから」という返事だった。

ついでに義母の話、「(子育てを終えて、いつか)テレビの番組で紹介されて初めて知った」。

再び妻の話、
「(井原市内の病院で出産した)病院の壁に「ブラームスの子守歌」と「中国地方の子守歌」が貼ってあった。
それを見て、自分の子には中国地方の子守歌を唄うことがあった」。

 

・・・・

「矢掛町史 民俗編」 矢掛町 昭和55年発行

「子供のねかせ唄」


「子供のねかせ唄」は「中国地方の子守唄」として全国的に有名なものである。
矢掛から井原地方にかけて歌われた本歌を昭和3年井原市高屋の上野耐之が山田耕筰の前で歌い、先生から「僕にくれないか」といわれ、編曲として発表されているものである。

本歌 立間可年
なんねなさりませ ねたこのかわいさ
おきてなくこのねんころりん つらにいくい

・・・・

 

「日本の子守唄」  西舘好子 游学社 2018年発行

岡山県
育児のこころに沿って、ねんねこさっしゃりませ
【中国地方の子守唄】

子守唄は自分の心の吐け口、自分のために歌う唄なのです。
岡山県井原に伝承されていた「井原の子守唄」は、詞に感動した山田耕筰が「中国地方の子守唄」と改題し編曲しました。
途端に、中国地方のあちこちで歌われるようになりました。
今も日本の子守唄の代表格の一つです。
子育ての本質がこの子守唄の冒頭にあります。
「寝た子のかわいさ 起きて泣く子の憎さ」
これ名言だと痛感しています。

・・・

 

 

画像・岡山県井原市高屋町 2021.10.22

 

 

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金光町の「子守り唄」

2023年01月16日 | 民謡

金光町の「子守り唄」

 

少年時代、姉が幼い妹や弟をおんぶする姿は日常風景だった。

どこからか”子守り”の少女がきて、住まわせる家もあった。

それはお金持ちの家という訳でなく、母親が少し病弱とか、篤農家で手が足りない、という感じの家だった。

 

雇われてきた”子守り”の少女は、やはり寂しそうな顔をしていて、気の毒な感じがした。

いつのまにか見なくなり、家人の世間話で「ありゃあいんだんじゃ」というケースが多かった。

遠方からでなく現在の福山市東部から来た人が多いような気がした。

 

・・


「日本の子守唄」  西舘好子 游学社 2018年発行

全国には何万という子守唄があります。
赤ちゃんを寝かしつける目的で歌われる唄ですから複雑で難解というものはありません。
しかし、歌う人は百人百様、歌詞は無限にあり、意味も不明というものが多く見られます。

・・・

 

(岡山県浅口市金光町 2023.1.6)

 

「金光町史」 金光町  平成10年発行

子守り歌

お月さんなんぼ

十三、九つ

そりゃまだ若いぞ

若い時に子を産んで

おたまにだかして

酒屋のどで

とっくりびんとぶち割って

いんでかかに叱られた

 

ねーんねーんねんねんせー

ねんねのお守りゃどけぇいた

ありゃ町へ茶買いに

茶々買うたら早よもどれ

早よにもどらにゃいなすど

・・・・

 

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