しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

鉄人28号

2021年11月06日 | 銅像の人
場所・兵庫県神戸市長田区若松町  若松公園





小学生のとき、漫画は大好きだったが、
漫画といえども、ちょっと現実と飛躍しすぎている物語が、いくらかあった。

その代表的な漫画が、
横山光輝の「鉄人28号」、堀江卓の「矢車剣之助」や「天馬天平」、杉浦茂の「猿飛佐助」。

「鉄人28号」は、鉄人が現実離れというのでなく、操作する少年”金田正太郎くん”をさす。


金田正太郎くんは、一見、読者であるわれわれと、ほぼ同じ時代、同じ年齢であったが、
やること、なすこと、すべてが違い過ぎていた。

最大の違いは少年でありながらピストルを持っていて、しかも、すぐに乱発射する。
パンパンパン。





他にも服装。
半ズボン(田舎の子は半ズボンをはかない)、ワイシャツ、ネクタイ、背広。
頭は長髪。
靴はズックでなく、革靴のようなもの。長いソックス。
社会悪と戦うこの少年にとって、まわりの人は子供でなく、大人というのも変わっていた。




そういう、年齢はほぼ同じでありながら、行動が少年離れしたのが、この漫画の魅力だった。
主人公の名前も国鉄のエース・金田正一投手に似ていて親しみやすかった。

後年、笠岡市図書館に行くようになり、本棚に横山光輝作の「三国志」が陳列されていた。
少し、うれしい気分になった。




撮影日・2021年11月4日



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敦盛と熊谷

2021年11月06日 | 銅像の人
場所・兵庫県神戸市須磨区須磨寺町  須磨寺

2021年11月4日、神戸市の源平の史跡関係地を何カ所か訪れた。
須磨寺は初めてだったが、都会の市街地の中に歴史と静寂の両方を感じるお寺だった。








「平家物語」 世界文化社 1976年発行 

敦盛の最後

熊谷次郎直実は、何とかよい大将軍と組みたいものだと、渚の方へ馬を進ませていくと、
練貫に鶴をぬいとった直垂に,萌黄匂いの鎧を着て,鍬形に打った兜の緒をしめ、
黄金づくりの太刀をはき、二十四差した切斑(きりう)の矢を負い、滋藤(しげどう)の弓を持ち、
連銭葦毛(れんせんあしげ)の馬に金覆輪の鞍を置いて乗った武者一騎が、沖のほうの船をめざして、
馬を海へ乗り入れ、三、四十間ばかり泳がせているのが目にはいった。

「それなるは、よき大将とこそ見まいらせる、
みぐるしくも敵に後ろを見せたもうものかな。
お返りなされ、お返りなされ」





その武者が引き返し渚にあがろうとしたところを
熊谷はむんずと組みつき、どうと落ち、
取って押さえて首を掻こうと兜をおしあげてみると、
年は十六、七の若武者で薄化粧をし、歯を染めている。
わが子の小次郎くらいの年の美少年であった。
「どういうお方か、お名乗り下さい。お助けしましょう」という。




「さっさと首をとれ」
熊谷はあまりのいとおしさに目もくらんだが、泣く泣く首をかききった。
泣きながら首を包もうとして、鎧直垂を解いてみると、
錦の袋にいれた笛が腰に差してあった。
「東国勢何万騎のうち、軍陣に笛を持ってきている風雅者はよもやあるまい。
さすが平家の公達は風流なものだ」
と思い、義経に笛を見せたところ、涙をしぼらぬ人はなかった。
あとで聞けば、太夫敦盛といい生年十七歳であった。





撮影日・2021年11月4日

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