しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

耳なし芳一

2021年04月19日 | 銅像の人
場所・島根県松江市 宍道湖畔公園
制作・会沢実
設置・平成8年

小泉八雲の「怪談」の主人公「耳なし芳一」。
”琵琶法師”。
平家物語には、”白拍子”も登場するが、どちらも室町時代ごろ衰退消滅したようだ。







耳なし芳一
小泉八雲の小説「耳なし芳一のはなし」の主人公。
琵琶の名手で盲目の若者。
壇ノ浦で滅んだ平家一門の霊によって弾誦する。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行









撮影日・2014年4月29日





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木口小平   

2021年04月19日 | 銅像の人
場所・島根観浜田市 浜田護国神社
制作・1932年初建・内藤沖  1961年再建・内藤伸

今でも子ども向けの偉人伝は、だいたい半分は作り話だが
”軍神”の話となれば、ほぼすべてが軍による創作で、”お国のために、喜んで死ぬ”お話となっている。

この浜田市にある「木口小平像」は再建したもの。
戦後は無用の人物となったが、よく再建できたものだ。しかも小平は浜田に何の縁もない人だし。







木口小平 
明治5年(1872)~明治27年(1894)
陸軍兵卒。岡山県生まれ。
ラッパ手として日清戦争に従軍。
宇品港を出てわずか1ヶ月後、明治27年の夏に牙山の緒戦で撃たれ、22歳で没した。
死んでもラッパを口から離さなかった忠勇美談の兵士として教科書にのせられた。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行








撮影日・撮影日・2011年10月27日





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石川啄木 

2021年04月19日 | 銅像の人
場所・北海道札幌市  大通り公園


石川啄木の詩は、日本人の心情に響くものがあるように思う。

3年前に啄木の故郷、渋民村を訪れた。
北上川や岩手山が近く見え、啄木にちょっとだけ近づいた気持ちなった。



これは↓、北海道旅行の時。





石川啄木
石川啄木は本名を一(はじめ)といい、渋谷村石川一禎の長男として、
明治19年2月20日、渋谷村常光寺に生まれ、
明治31年盛岡中学にはいり、3年の時ストライキの首謀者の一人となり、学生改革に活躍した。
翌4年退学して上京し、文学に志したが病をえてはたさず、帰盛して詩活動に従い、
長詩「愁調」が雑誌「明星」にのせられるようになる。
このとき与謝野鉄幹の命令で”啄木”と称するようになった。

明治38年処女出版「あこがれ」をだし、これによって結婚費用を支弁しようとしたが、
収入は一文もなく、ついに節子との結婚式に間に合わなかったという。
しかし盛岡に新居をかまえさかんに文学活動をおこない、
「小天地」を発行しているが、経済的には恵まれず、
39年渋谷村の小学校代用教員をつとめた。
40年校長排斥のストライキを指導し免職となり、一家離散し、
妹を連れて北海道函館にて小学校の代用教員となり、
その後転々と北海道の新聞社を歩き、社会主義運動にひかれ、上京の志おさえがたく明治41年上京し、
42年朝日新聞社に入社、
43年「一握の砂」を発刊した。
45年4月13日死去。
6月10日発行の「悲しき玩具」は死後の刊行となる。


「岩手県の歴史」 森嘉兵衛  昭和47年発行








石川啄木 

明治19年(1886)~大正元年(19112)
岩手県生まれ。
盛岡中学中退後、上京し与謝野鉄幹の知遇を得て「明星」に詩を発表。
20歳で処女詩集「あこがれ」を刊行、天才詩人として注目される。
その後、北海道各地を流浪、函館にもより、2年ほど北海道にいた。
明治43年『一握の砂』、45年「悲しき玩具』は近代短歌史上不朽の生命を持つ。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行





撮影日・2017年8月3日



コメント (1)
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