しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

広島陸軍被服支廠

2021年02月10日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・広島県広島市南区出汐  広島陸軍被服支廠 
訪問日・2018年5月3日   


県工(広島県立広島工業高校)の隣にある被爆建物が、1棟を残して解体されるニュースが話題になった。

広島フラワーフェイスバルのパレードの日、広島に行ったついでに、県工目指して行ってみた。
建物はかなり前方から、早々に存在感たっぷりに判明できた。







(Wikipedia)

広島陸軍被服支廠(ひろしまりくぐんひふくししょう)もしくは出汐倉庫

兵員の軍服や軍靴などを製造していた。戦後、建物は様々なものに転用されたが1997年以降閉鎖され遺構として放置されている。
現在は「出汐倉庫」の名で通る。

原爆被災
1945年8月6日に投下された原子爆弾では、爆心地から約2.7km離れていた。被服支廠は外壁の厚みが60cmと厚かった。
焼失や倒壊は免れ救護所として使用され、多くの被爆者がここで息を引き取った。当時の惨状は峠三吉『原爆詩集』に描写されている。

現存する10 - 13番庫は1913年(大正2年)8月に竣工したもので、4つの棟からなり、L字型に並ぶ。
1棟の長辺94m・3階建て高さ17mの鉄筋コンクリート造り煉瓦張り。
1-3号棟は県が、4号棟のみ中国財務局が所有し、4棟とも県が一括管理している。

外観は煉瓦造と変わりないが、内部は鉄筋コンクリートのラーメン構造であり、
1棟あたり20億円を超える耐震補強が必要となっている。









現在、建物は1棟も解体されていない。
保存活動と、耐震工事費用が当初予定より安くなったことが理由。

県と国の所有だが一体化して将来図を検討中である、というような情報になっている。


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戦艦陸奥記念館

2021年02月10日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・山口県大島郡周防大島町伊保田 「陸奥記念館」
訪問日・2013年4月25日   


周防大島のほぼ東端。

この海は、山口県・広島県・愛媛県の島々が点在する。国境の海。






”柱島泊地”

この海は戦前、「柱島泊地」と呼ばれる大日本帝国海軍の艦艇停泊地だった。
その海で昭和18年、戦艦陸奥は突然爆沈した。
ここから3kmの沖。







陸奥は
大正10年完成。
大正15年第一次改装。
戦艦陸奥は建造時、世界最強の戦艦として41cm主砲を装備し、
連合艦隊の旗艦としても活躍したが、戦局に寄与することはなかった。
昭和18年6月8日、柱島沖で爆沈。(旧東和町の沖、記念館の沖合3km)
昭和45年からひきあげ開始
昭和47年「陸奥記念館開館」完成












現在も爆沈の原因は謎とされているが、

歴史書よりも、執拗な取材で有名な作家・吉村昭の「陸奥爆沈」に、事情が詳しい。
この小説で、生々しく時代と社会と兵隊の内部が描かれ、読む人も大変参考になる。






深田サルベージは約75%を引き上げ、多くの遺物・遺品、遺骨も引き上げた。
館内は、それを記念して展示している。





引き上げから半世紀が経った。
次世代への伝えや関心が少し気になる。





コメント (1)
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