しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奸賊を誅滅して大儀を正す」

2018年06月17日 | 昭和11年~15年
大正のシベリア出兵から昭和の敗戦まで、この30年間ほどの日本の政治・軍事の出来事は国民として恥ずかしい。
神や精神が優先し、当時の国民が支持をした。

226事件を起こした陸軍は、政治的な反省もなく翌年戦争を起こし、その8年後の敗戦によって消滅した。

「帝国の昭和」有馬学著 講談社2002年発行より転記する。

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2・26事件

陸軍内部の皇道派グループはの間には、直接行動への意思が高まっていた。
中心メンバーの磯部浅一は、1936年1月には「武力解決の為に全力をそそいだ」という状況であり、最も先鋭といわれた歩兵一聯隊の栗原安秀中尉も部隊を固めつつあった。
2月26日未明、重機関銃、軽機関銃、小銃で武装した部隊は、降り積もった雪の中を出勤した。
1480余名の決起部隊は、警視庁、首相官邸、陸軍省、参謀本部など桜田門から三宅坂の一帯を四日間にわたって制圧・占拠した。

彼らは何を目指したのか。
「蹶起(けっき)趣意書」には、
「元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等」を「国体破壊の元凶」とし、「奸賊を誅滅して大儀を正す」とし、
これではテロによって「国体破壊の元凶」を除くと語っただけでしかない。

川島陸軍相は「蹶起の趣旨については天聴に達せられあれ」「諸子の行動は国体顕現の至情に基ずくものと認む」という陸軍大臣告示を出す。これと同時に、暫定内閣成立の上部工作が行われた。

しかし事態を決定づけたのは、速やかに叛乱を鎮圧せよとの天皇の意思だった。

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