吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

梅原猛『神々の流竄』集英社文庫/昭和60年12月20日第1刷発行(その①)

2019-04-18 07:17:02 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護
 梅原日本学のスタートとなった気鋭の論文です。

 改めて読んでみると、今では常識となった感のある部分や明らかな誤りと思われる部分もありますが、この発想の斬新さは素晴らしい!
 虚心に文献を読んだ結果、古代史が覆るような新事実が次々と現れてくる、まさに『知の冒険』の書です。
 自分たちがいかに先入観に囚われていたのかをまざまざと思い知らされます。


※梅原猛『神々の流竄(るざん)』集英社文庫/昭和60年12月20日第1刷発行

 知の冒険は、古事記、日本書記、続日本記の3書を精査することから始まります。
 この3書は成立がごく近いのです。


※年表:古事記、日本書記、続日本記の成立年代

 古 事 記 (和同5年/712年成立) 全3巻 神代から推古天皇の治世まで
 日本書記(養老4年/720年成立) 全30巻 神代から持統天皇の治世まで
 続日本記(延暦16年/797年成立) 全40巻 文武天皇から桓武天皇の治世


※皇統譜(第34代舒明天皇から第40代桓武天皇まで・・・なお、第33代が推古天皇)

 続日本記を読んでみると日本書記のことは(たった一行)記されているものの、古事記については全く記されていないといいます。続日本記の記述は簡潔なものが多いのですが、全くの欠落はありえるのでしょうか?
 これはどういうことだろうか、という問いが生まれます。ひょっとしたら古事記は公にできない記録なのではないか、私たちは古事記の記述を『本当のこと』と思っているが、果たしてそうだろうか、と。
 神代の話は多分に創作であるかもしれないが、何らかの意図をもって書かれたはずなのだから、その意図を探る作業が必要だ、というのです。
 そして出雲国風土記(天平5年/733年成立)に出雲神話の有名な話がほとんど載っていないことに驚くのです。

 これが、記紀に語られた出雲神話なるものであるが、奇妙なことには、このスサノオのオロチ退治の話も、オオクニヌシの国譲りの話も、『出雲国風土記』には、全く書かれていないのである。


 その土地の伝承をまで記した風土記に「スサノオのオロチ退治の話が書かれていない」などということがあるのでしょうか?


※島根県西部および広島県北西部に伝わる石見神楽(いわみかぐら)に登場するヤマタノオロチ

 また、『出雲国風土記』冒頭にはオオクニヌシの奇妙な言葉が記されている、と紹介されています。

 天の下造らしし大神、大穴持命、越の八口を平け賜ひて、還りましし時、長江山に来まして詔りたまひしく『吾が造りまして、命らす国は、皇御孫の命、平らけくみ世知らせと依さしまつらむ。但、八雲立つ出雲の国は、我が静まります国と、青垣山廻らし賜ひて、玉珍置き賜ひて守らむ』と詔りたまひき


 越の国まで平らげ、天下の覇者になったはずのオオクニヌシが、その国を全て皇孫に譲って『出雲の国だけは自分の静まる場所として守らせて欲しい』と乞うている、というのです。

 出雲神話の場所が出雲の国ではないとしたら、それはどこの話だったのでしょうか?
 『それは大和の国の話であった。大和の神々はその祀られた土地を追われ出雲に流されたのだ』というのが、この論文の主張なのです。

 (つづく)←その②へ進みたいヒトはこの文字をクリック!


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5 コメント

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ここに飛ばされたので、 (Unknown)
2019-05-10 00:33:15
これは②の方が相応しい米なんでしょうけど、

ヤマタノオロチは
洪水の禍を起こす蛇で、
治水や田んぼが=クシナダ姫で、
草なぎの剣、臭いと蛇を表すと書いてあるのもありますが、、、
②の脚註2にもあるけど
私はおろちから剣が出てくる、
おろちにたいする赤の表現は溶鉱炉と製鉄の描写であり、
たたら神、多々良信仰、
たたら=製鉄もあると思うのよ。
(まぁ草薙剣が銅だとしてもね。)

出雲風土記733年にはもう出雲では製鉄がなされていると書いてあるわ。
Unknown (Unknown)
2019-05-10 00:53:54
北九州の八幡の大蛇としてとらえている説もあるけど、
ヤワタノオロチね、
意外と九州の筑前に山や川も合致している。

ヤマタノオロチを退治した、尻尾から草薙の剣=天叢雲剣は、
斐伊川=蛇の砂鉄を取ること、そこからたたら製鉄をすること、
治水工事によって氾濫から稲田=姫を守ることの物語だと思う。

で、ここのゲルマン民族、いや大和の神々大移動的な①に対するコメは待っていてm(_ _"m)
Unknown (Unknown)
2019-05-10 01:20:44
> これが、記紀に語られた出雲神話なるものであるが、奇妙なことには、このスサノオのオロチ退治の話も、オオクニヌシの国譲りの話も、『出雲国風土記』には、全く書かれていないのである。

そこで「八幡の大蛇」北九州説が出てくる。
出雲ではなく北九州筑前地域が舞台だと。北九州市小倉北区の須賀神社で、「八雲たつ」と詠った。
八俣の遠呂智⇒遠呂智が川、遠賀川説。(ここでは古代から製鉄が始まっていた。)

娘婿の大国主命が天照大御神と闘い、
須佐之男命と大国主命は島根県出雲に流罪されたのでわと、九州側は思っている。
だから出雲国風土記にはないんだ説。
なんともコメ返しづらい・・・。 (管理人)
2019-05-10 14:07:38
大分県宇佐市にある『八幡宇佐神宮』は、全国にある八幡さまの総本山なのですが、ここのご託宣に『八岐大蛇』の記述があります。
その②にも書いたのですが、引用してみます。
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豊前国宇佐郡菱型池の辺、小倉山の麓に鍛冶の翁有り。奇異の瑞を帯び、一身と為て、八頭を現す。人聞いて実見の為に行く時、五人行けば即ち三人死し、十人行けば即ち五人死す。
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ここで八岐大蛇はハッキリと鍛冶と結びついています。しかも『場所は大分県宇佐市である』というのです。
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ですから、この地で製鉄が行なわれ、最重要軍事機密であったことは確かなようです。
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あと『宇佐』という地名・・・これ『因幡の白兎』とも関係あるようで、大国主命とのつながりがある・・・かもしれないですね。
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余談ですが、宇佐にある会社の中に『made in USA』(≠ made in U.S.A.)を表示しているところがあるそうです。
Unknown (みゃー大工)
2019-05-10 16:19:54
出雲神話の舞台は大和、
天照大御神に敗れた須佐之男命や大国主命など元は大和にいた神々が出雲へと流された。
と、
梅原先生は言いたいのでしょうけど、
大和をもしや北九州が舞台では?
大蛇の退治は、
青銅器の終わりを示し鉄器の始まりへ、
当時の製法は秘伝であったのか、
広めたかったのかどっち?などと、

こじつけただけですので、困らせてごめんなさい。

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