藻blog.

水曜どうでしょうとお買い物の依存症。

被災地に行ってきたよ。

2013年07月09日 | 旅行
7月4日。

朝10時から行われるという神事を見るために
確認しておいた神事の行われる場所に向かったのだが
10時になろうとしているにもかかわらず
待てど暮らせど全く祭りの行われそうな気配が無い。

情報が間違っていたかと神社の本宮まで移動してみたがこちらも祭りという気配すら無い。
祭りは毎年7月4日に行われるという情報は間違っていないはずなのだが
電話で場所を確認した時に神社の関係者に言われた
「見れるかどうかチョット分からないですね・・・」という
なんとも歯切れの悪い言葉の意味がようやく分かった。
どうやら予想していたよりもはるかに小規模で見物客すらいない神事だったようだ。

結局、神事は見る事が出来ず
何のためにわざわざ前日から東北に来てたんだろうと凹んだ。

予定が大幅に狂ってしまい時間が大量に余ったので
予定変更で被災地に行ってみることにした。

まず向かったのは6年ほど前に1度だけ調査に行った事のある『南三陸町』。

行くまでの道路事情が不安だったけど
レンタカー屋の兄さんの話だと主要な道路はほとんど元通りに直っているという話なので
安心してナビに任せて運転していけば辿り着く事は出来るんだけど
実際行ってみると道は直っていても主要な建物などは全く復興していないので
今現在の目的地の場所をネットで下調べしておいた方が良いです。

まず初めに行ってみたのは復興仮設商店街の『南三陸さんさん商店街』。


南三陸さんさん商店街へようこそ!

ここの復興仮設商店街は食べ物屋さんやお土産物屋さんが多く広い駐車場も併設されているので
僕のような一般観光客だけでなく大型の観光バスなどもどんどん来るので
他の商店街に比べてもお客さんは多いと思います。
僕が到着した時には座って食事をするスペースも空いて無い程に賑わっていました。


プレハブ小屋で営業中の商店街。

実際に仮設商店街で商売をしている人と話をしてみると皆前向きで明るいです。
失ったものは多いでしょうが、そこから再起しようとしているチカラがすごいです。
うちの地元の中途半端に商売を続けている店主達とはやる気が大違いです。



南三陸町は1960年のチリ地震の縁でチリから友好のシンボルとしてモアイを送られていましたが
今回の大震災でシンボルのモアイが破損した為、新たにチリから寄贈されたモアイが立っていました。


(こっちの2体は2007年5月の調査時に撮ってあった震災前の南三陸町のモアイ像)

モアイは南三陸町のシンボル的な存在となっており
復興商店街では様々な商品にモアイが使われていましたよ。




モアイソフト。
お茶屋さんが作っている抹茶ソフトなので抹茶風味がしっかりしてて美味しかったです。

商店街を散策しているうちにだいぶフードコートも空いてきたので
今、商店街で一押しの「キラキラうに丼」を注文してみました。



ちなみに丼の名前の最初に付いてる「キラキラ」は
南三陸町では季節ごとに「キラキラ○○丼」というものを作って出しているらしく
春は春つげ丼で、今のシーズンはウニ丼、秋は秋旨丼、冬はいくら丼だそうです。

ウニ丼は美味しいです。ちょっと味や食感が単調になりがちな丼ですが
タコ刺しが弾力のある食べ応えとサッパリした味で良いアシストをしていました。



仮設商店街の期限は5年とのこと。少しでも早く元の生活に戻れたら良いと思います。

ウニ丼を食べた後はいよいよ南三陸町の市街地があった場所に向かいます。



仮設商店街から市街地の方へ進んでいくと、そこにはだだっ広い更地だけがありました。
震災後にテレビで見ていたガレキの山は完全に撤去されており
わずかに残った基礎のコンクリートだけがその場所に建物があった事を教えてくれます。

震災前のこの町の詳しい姿を知らない僕には
ここに何百軒もの家があり、津波で多くの人が亡くなったという事実を
この更地を見ただけだとあまりにも規模が大きすぎて想像する事すらできませんでした。



ただ、そんな広大な更地の中にポツンとモニュメント的に残されているのが防災対策庁舎です。
テレビやネットを通して南三陸町の津波被害の映像の中で何度も見た建物です。





今でもリアルに震災の被害を伝える場所として震災当時のままに残っており
地元の方や観光に来た人たちによって今なお千羽鶴や花、線香などがたむけられています。

何も準備していかなかった僕は誰かが置いてくれてた線香から1本立てさせてもらいました。
実際にこうして津波の生々しいリアルな爪痕を見ると思っていた以上に重い気持ちになりました。

あとから来たワンボックスカーの人達は車から降りる事もなく
ケータイで庁舎を撮影したらサッサとどこかに走り去って行きました。
震災から2年。震災に対する人の意識にも大きな差が出てきているようです。



こっちの巨大な船は気仙沼市の住宅街に津波で流れ着いたものです。
南三陸の防災対策庁舎と同じように震災のシンボル的なものとなっています。

ただ、こういった震災を伝える物を今後どうするのかは各地で問題になっているようで
安全面や心情的な部分などから撤去を望む声もありますが
こういったシンボルを残すことで地震や津波被害の風化を抑制したり
シンボルを目当てに少しでも観光客に来てもらうべきとの声もあるようで
なかなか難しい問題になっているようです。

そして、震災のシンボルと言えば1番か2番目に有名な「奇跡の一本松」も見てきました。



かなり遠くからでも分かるくらい何もないところに1本だけ立っています。



立っているといっても、ご存知の通り本物の奇跡の一本松はだいぶ前に立ち枯れてしまい
今立っている松は7月3日に除幕式をしたばかりの復元したレプリカの松。

僕が行った時は夕方4時過ぎと微妙な時間だったのですが
それでも家族連れや小グループの観光客などが松を見に来ていました。



松の木の周辺だけは整備されていますが
それ以外の場所は津波で流されたままの土壌がむき出しの状態となっており
復興までにはまだ膨大な年月がかかりそうでした。

陸前高田の奇跡の一本松を見た後はググッと一気に内陸に戻り
今日の宿のある一関市に向かいました。


宿泊場所の「旅苑 松本」

今回の東北旅行をするにあたり水曜どうでしょう好きとしては
「桜前線捕獲大作戦」と「東北2泊3日生き地獄ツアー」のDVDを見直したのですが
桜前線捕獲大作戦の時に一関にチョロっと立ち寄っており



そのロケの時の映像を見ると
・土手沿いに桜が並ぶ土手か堤防の上で
・画面奥に特徴的な林がある
・桜の上に鉄塔が見える場所
・一関の桜の名所もしくはその近辺
ということが分かるのでグーグルマップで見当をつけてみたら
今回たまたま予約を入れた宿の近くのロケっぽかったので
散歩ついでに歩いて行ってみましたよ。


ドンピシャ!

どうでしょう好きが高じてわざわざ近い場所に宿を取ったみたいに思われそうですが
ホント偶然だったので自分自身でもビックリしてるんですよ。

当時とほぼ変わらない景色ですが現在は堤防の工事中らしく
一関の桜の最初のシーンでうれしーがアップで撮っていた桜はすでに切り倒されていました。
工事がもっと進んでたら全く分からなかっただろうね。


画面右端に映っている桜は無くなっていますが奥の2本の桜の幹の重なり具合とかは健在です。

祭りは見れなかったけど被災地に行けてどうでしょうロケ地巡りも出来て
大満足のうちにこの日は終了です。

旅はもう少し続きます。


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この日の晩御飯は一関駅前の松竹でソースかつ丼食ったった♪