マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

野神町の注連縄

2015年09月20日 08時53分07秒 | 楽しみにしておこうっと
奈良市の西大寺野神町を訪れた。

調べたいのはオトナ野神座である。

西大寺野神町には野神神社が鎮座していた。

三つの房を垂らした真新しい注連縄があった。

元禄十五年(1702)に建之された石灯篭に「野神社」とあることから野神神社である。

野神神社は大正三年八月に北方に鎮座する十五所神社に合祀されたが今尚こうして注連縄を架けていた。

境内には公民館があるが扉が閉じられているので拝見することはできない。

ここより西へ数百メートル歩けば西大寺野神緑地公園がある。



その傍らにお地蔵さんが祀られていた。

ここにも注連縄を架けてあった。

奉仕する人たちによって架けられたのであろうと思って付近を散策する。

野神神社近くの民家におられた男性にマツリの件を尋ねた。

オトナ野神座による講紀祭は12月15日に行ったというのだ。

村の男の子が座入りする「座」があるという。

十五所神社の祭祀をつとめているのが「座」である。

右座(おうざ)、左座(あんざ)のそれぞれに九人衆、十人衆がいる。

大昔は五人衆だったそうだ。

注連縄を作って架けたのは「座」の人たちだった。

神社の年行事はいくつかあるらしい。

一年神主に年当番の3人がつとめている。

両「座」の最長老は元老と呼ばれる。

昭和2年生まれのご主人はその元老だった。

「歳はいったがなかなか辞めさせてくれないので今でも「野神座」の元老を務めている」という。

講紀祭の日は朝8時から境内などを清掃する。

それから注連縄を架ける。

オトナの呼び名があるのは七人衆。

長老たちをそう呼ぶのであろう。

神事はといえば、宮神主(一年神主)の引継ぎになるという。

(H26.12.25 SB932SH撮影)
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小夫嵩方伊勢講祭

2015年09月19日 09時33分49秒 | 桜井市へ
21日の日曜日に行われると聞いて訪れた桜井市小夫嵩方の天照皇大神社(てんしょうこうたいじんじゃ)。

社務所は電灯の灯りが点いていない。

村の人が来る様子もない。

この日を聞き間違っていたのかも知れないと思って尋ねた1軒の家。

奥さんが出てこられて話された服忌のこと。

村の人が亡くなられてこの夜はお通夜になった。

行われる予定だった伊勢講祭は順延されて明後日だと云う。

その日は23日の祝日。

やむなく日曜から祝日に移されたのだ。

お通夜には葬儀社の迎えのバスが到着していた。

明後日だと話していた婦人は大慌てで迎えのバスに乗ると云っていた。

23日も訪れた天照皇大神社の社務所は21日と同様に灯りがない。

当番の人が来るまで待つしかない。

そう思って待っておればライトを点けた軽トラが登ってきた。

が、である。

数十メートル離れた場から動かない。

なにやら話し声が聞こえる。

懐中電灯を持っている人もいた。

しばらくすればこちらに近寄ってきた。

私も近寄る。

そのときだ。「こらっ、お前だれや」の声とともに懐中電灯で照らされた。

「ここには警察官もいるんだ。何をしているのだ」と云う男性に答えた。

「マツリの際にお渡りなどを撮らせてもらった者です。21日に訪れた際に伊勢講は今夜になったと聞いてやってきたのですが・・・」と伝えれば、「そうやったんか」と云う。

おそるおそる近寄った男性は何者か判らず不審者だと判断していたので近寄るのが怖かったと話す。

村では不審者が出たと何人かの人たちに連絡したそうだ。

その場に出動した村人は5、6人。

短時間で集まった人たちも一安心されて伝える伊勢講の行事はこの日ではなく翌日の24日だと話す。

私が勝手に勘違いをした行事の移動日に村は大騒動だった。

村のセキュリティネットワークは万全の体制を整えていたことに感心したと伊勢講祭の夜に伝えたら「事件はずっと記憶に残る」と返された。

恐縮する「事件」に頭を下げるしかない。

騒ぎは記憶に残して伊勢講祭に移る。

伊勢講祭は社務所に掲げる天照皇大神宮・豊受大神宮掛図(従三位荒木田神主謹書)に向かって行われる。

そこには桑山宮司が神社庁桜井支部に出かけて拝受された天照皇大神宮のお札がある。

頒布されたお札であるという。

天照皇大神宮・豊受大神宮は伊勢の山田の原に鎮座する神宮の内宮・外宮。

古くは伊勢太神宮(いせのおおみかみのみや)と云われていた。

掛図は東に向けて掲げている。



伊勢に向かって遥拝する小夫嵩方の伊勢講祭。

神饌を供えて祓え詞、祝詞奏上、玉串奉奠など神事を執り行われた。

玉串は伊勢講の代表とお伴の二人。

1月にお伊勢さんへ出かけて参拝したという。

嵩方の講中は14戸。

7年に一度の廻りである。

この夜の神事は服忌で親族も参加することはできない。

少ない人数になったが無事に神事を終えて直会に移る。

座を囲んで供えたジャコを肴にお神酒をいただく。



講代表が挨拶・口上を述べてから酒杯に入る。

盃は白いカワラケ。

当番の人が酒を注ぎまわる。

(H26.12.24 EOS40D撮影)
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我が家の水仙

2015年09月18日 13時20分19秒 | 我が家の花
例年の12月に咲きだす我が家の水仙。

2週間ほど前から蕾がちらほら。

少しずつ膨らんできた。

そろそろ咲くであろうと思っていたこの日の朝は穏やか。

膨らんだ芽は花を開かせた。

今年は例年になく蕾が多い。

その後はもっと開いてくれるだろう。

(H26.12.23 EOS40D撮影)
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小泉神社の注連縄掛け

2015年09月17日 08時57分57秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市小泉町に鎮座する小泉神社。

かつては牛頭天王社と呼ばれていた神社では神社役員が朝から大晦日に焚かれる大とんどの木材を集めてくる。

毎年23日にされる正月迎えの準備には注連縄掛けもされる。

何日か前から結った大きな注連縄は一年間神社を守っていた注連縄を外して新しく結った注連縄を本社拝殿に掲げる。

九頭上神社、八幡神社、源宗稲荷社、片桐神社は若干それより細い。

かつて小泉城の裏門であった門。



寄贈され移設した裏門は小泉神社の表門になった。

一名に袖付門と呼ばれている表門にも注連縄を掛ける。



新しくなった注連縄を掲げていた神社には手を合わす人も見られる。

(H26.12.23 EOS40D撮影)
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楢町かぼちゃ薬師の冬至カボチャ御供

2015年09月16日 07時30分18秒 | 民俗あれこれ(初成編)
天理市楢町にかぼちゃ薬師がある。

夏場になれば初成りの南瓜カボチャをかぼちゃ薬師こと薬師堂に供える人が居るらしいが、いつ、誰が供えているのか、番をしているわけでもないので判らないと話していた。

癪(しゃく)や耳の病に効いて治してくれると伝わる初成りカボチャ供えは民間信仰。

そのようなことから親しみを込めてかぼちゃ薬師と呼ばれている。

この日は冬至。

南瓜カボチャを食べて柚子湯に入る習慣がある。

緑黄色野菜の少ない冬。

カロチンやビタミンを多く含む南瓜カボチャを食べたら風邪をひかず元気に冬を過ごせるという言い伝えだ。

もしかとすればかぼちゃ薬師に南瓜カボチャを供えているかもしれないと思って訪れた。

薬師堂にはどなたも居られないが、黄色い南瓜カボチャが供えてあった。



思わずシャッターを押した。

かぼちゃ薬師を初めて訪れたのは平成24年の2月

付近に住む婦人は「初成りよりも冬の寒い時期に近隣農家の人が供えていた。お堂の回廊に数々の南瓜カボチャが置いてあった」と話していた。

供えた南瓜カボチャはたばって持ち帰ることが許されていると話していた。

供える人によって時間帯はまちまち。

供えた南瓜カボチャの数量は絶えず変動するようだ。

大量にあったのは随分前の様相。

この日に拝見した南瓜カボチャは1個。

供えたのが1個だけなのか、それとも残っていたのが1個であるのか・・・判らない。

ともかく1個があったのだ。

薬師堂の向かいにあるお寺は融通念仏宗派の興願寺。

5月8日に行われた薬師法会にご住職が法要をされた。

ご住職は不在であったが奥さんが居られた。

薬師法会を取材させていただいたお礼を述べる。

実は前日に冬至の薬師法会が営まれたと云うのである。

営みは薬師講だ。

仕事をもつ講中もおられることから平日では集まり難い。

できることなら日曜、それとも祝日で行いたいと申し立てられて前日に行われたのだった。

かぼちゃ薬師に南瓜カボチャが供えてあったことを伝えたら「参拝やからありがたく貰って帰り」と云われた。

いただいた南瓜カボチャはイトカボチャ(糸南瓜)。

明治時代に日本に導入された夏カボチャである。

水から茹でて20分ほど。

冷水に入れれば果肉がほぐれてソーメン状になる。

その状態からイトカボチャはソーメンカボチャとも呼ばれている。

ちなみに奥さんが話してくれた六斎鉦。

楢町にはかつて六斎講があった。

戦時中に鉦を供出するこもあって戦後に解散したという六斎講。

当時に打っていた鉦が残っていると云う。

蔵にあるはずだと探してきそうだったが、この日は遠慮して後日に伺うことにした。

(H26.12.22 EOS40D撮影)
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中城・収穫後のオクラ立て干し

2015年09月15日 08時18分01秒 | 民俗あれこれ(干す編)
患者さんの送迎に走る。

番城町から中城町・発志院町を抜けて白土町へ送りをしていた際に気がついた田んぼのとんど立て。

の、ように見えたのは何だろうか。

白土町に住むH婦人の話しによれば、それはオクラの実を収穫したあとの枝木であるという。

H家でもオクラを栽培されている。

夏場は刈り取りが忙しい。

朝早くに収穫したオクラは柔らかくて美味しい。

採ってすぐに出荷するオクラである。

H婦人が云うにはオクラの枝木は干してシバにする。

シバは竃焚きに使うと話していた。

天理の南六条の下見を終えて通りがかった大和郡山市の中城町。

旧村の人たちは「なかんじょ」と呼んでいる。

街道沿いに車を停めて眺めるオクラ立て干し。

近寄ってみればまさしく収穫後のオクラであった。

高さは2mぐらいだ。

根っこ部分はぐにゃっと曲がっている。

先っぽを見れば採り残しのオクラがある。

まるで刀の形のようだ。

2カ所もあったオクラ木の立て干し。



その傍にあった石標。

何やら文字が見える。

「古家」のようだ。

ここにはかつて「古家」があったのだろうか。

興味をそそられる。

畦道を歩いていけば畑作業をされている男性が居られた。

取材目的を述べて話しを伺う。

「古家」のように見えたが、そうでなく、「古塚」であると云う。

ここら辺りの小字は「テランド」。

充てる漢字は「寺堂」だと云う。

昔のことだから詳しいことは判らないが、かつてお寺があったようだ。

石標は所有する畑の境界でもあるようだ。

「古塚」の名が刻まれているので、塚があったかも知れないと話すⅠさんが畑の持ち主。

夏場はオクラの生長が早くて朝な夕なに収穫していた。

高いところに実をつけるオクラの収穫は難儀する。

手が届かないのだ。

それで残ったオクラの実であった。

刈り取り後のオクラ木は束ねて横倒しにしていたが、燃えにくいので5年ほど前から立てるようにしたと云う。

中城には北の方にもオクラ立て干しが見られる。

とんどのように立てたオクラ木はアイの日に燃やす。

カラカラに枯れてから燃やすようだ。

この日の収穫はダイコンとミズナ。

畑の溝で根っこの部分をじゃぶじゃぶ洗う。

ミズナは竹編み籠(イネカゴか)に入れてダイコンを持つ。



家で食べる分だけを持ち帰った。

(H26.12.21 EOS40D撮影)
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石川町終い観音講

2015年09月14日 07時31分36秒 | 大和郡山市へ
北垣内、南垣内に西方の千束地区からなる46戸集落の大和郡山市石川町。

歴史は古く、かつては春日社の神領であった。

この日は12人の観音講の集まり。

公民館より繋がる室内奥に観音堂で般若心経を唱える。

観音講の営みは一年に四回ある。

8月は十日盆で9月は秋の彼岸で12月は終い観音講。

3月は涅槃の掛け図を掲げて心経を唱えている。

一同が揃えばご本尊を安置する観音堂に移る。

お供えは特に変わったものではなくお菓子などだ。

ローソクに火を灯して当番の人が前に座る。

膝を痛めたご老人は正座をするわけにはいかない。

老人乳母車を押して観音堂にやってくるぐらいだ。

膝を伸ばす婦人は格好が悪くて申しわけないと話す。

座布団を二枚重ねにしてお尻を乗せる。

そろそろ座椅子が要るようになったと話す婦人も要る。

導師を勤める当番の人は毎回交替するお勤め。

「それでは始めましてもらいます」と云って平鉦を打つ。

鉦を打つ調子に合せて唱える般若心経は三巻。

いつもこうしている。

この日のお勤めはおよそ10分間。

短いように感じる人もおれば、長くも感じる人もいる。

鉦を打つ調子によって気持ちが変わるのであろう。



ちなみに卓台には般若心経のお念仏が書かれてある敷布がある。

導師はそれに目を落とすことなく般若心経を唱えていた。

周りに座る同世代の婦人たちもそうである。

「身体に染みついているので自然とお念仏が出てくるのですが、稀には忘れて飛ぶこともありますわ」と話す老婦人に対して、般若心経のお念仏を書いた書物を広げる人もいる。

「若い私たちはまだまだですわ」と笑っていた。

お勤めを終えたら場を移す。

いつもなら観音堂との間にある台所でヨバレをいただくのであるが、終い観音講の日は座敷だ。

最長老の婦人が一年間の無事を感謝すると述べて直会に移った。

注文したご馳走を前にしばらくの時間を過ごす。

「どうか良いお年をお迎えくださいませ」と伝えて退席した。

(H26.12.20 EOS40D撮影)
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百歳まで生きる脳内血管

2015年09月13日 07時53分06秒 | むびょうそくさい(おかん編)
阪奈道路の三碓へ向かうには富雄川沿いの県道を北上する。

黒谷橋信号を曲がって阪奈道路に入る。

生駒山の峠を越えて大阪に入る。

東大阪変電所西信号を左に曲がって国道170号線。

南下して被服団地前は右折れする車で大渋滞だ。

しかたなく通り過ぎる外環状線。

東西に走るけいはんな線に阪神高速道路下の府道大渋滞だ。

今日は五十日(ごとび)か。

1km弱走って新町交差点。

ここも異常に詰まっている。

信号を右折れするにも時間がかかる。

マックスバリュ富雄南店を出発した時間は午後1時。

外環状線まではスイスイの30分程度だったが大渋滞に巻き込まれた。

目指す国立病院機講大阪医療センターまでは相当な時間がかかると腰を据えた。

河内松原、花園ラクビー場前、英田、稲葉、菱江、意岐部、御厨、小阪、高井田、長栄寺、布施柳通、長堂、新深江までの中央環状線までがなんと1時間もかかった。

午後2時半である。

国立病院機講大阪医療センターがある大阪市中央区法円坂まではまだまだだ。

そのまま西へ向かって行くわけにもいかず中央環状線を右折れ、北上する。

深江橋信号を左に折れて西に一直線。

渋滞はやや緩和されていた。

そう快な走りではない。

奈良ではこれほどまでの大渋滞に遭遇したことはない。

大阪の自動車道は信号が多い。

ちょっと走っては信号にぶちあたる。

右折れ左折れする車で停まる。

途中の辻で出入りする車もある。

とにかく時間がかかる大阪の自動車道に難儀する。

真夏ならヒートアップしてしまう車もあるだろうに。

緑橋、森ノ宮を走る中央大通。

右手に大阪城が見えてきたらもうすぐだ。

左手に難波宮跡公園が見えた。

法円坂信号を左に折れて右にあるのが国立病院機講大阪医療センターだ。

かつては馬場町にあったとかーさんは云うがどうも違うようだ。

駐車場にゲートイン。

発券を受け取って検査を終えたおふくろが待つロビーに向かった。

着いた時間は午後3時を過ぎていた。

奈良を出発してから2時間以上もかかった。

MRI検査はとうに終わって医師の診断結果も出ていた。

付き添いしたかーさんの話しによれば特に何もなかったと云う。

脳内血管をこまなく探してみたが、何もでなかったと云う。

88歳にしては健康そのものの血管は欠陥もない。

こんな奇麗な欠陥は今まで見たこともないという医師の話し。

百歳まで生きられると伝えられたそうだ。

ありがとうございますと思わず手を握ったというおふくろ。

どうやら頭の上がドン、ドンと鳴るのは脳内血管の欠陥ではなく、何らかのパニックになったときに発症するらしい。

一日二回、ドン、ドンが出てすぐに消える。

気持ち悪いから原因を掴もうとしたのだがまったく問題はないと伝えられたおふくろは大喜びで手を握ったようだ。

今夜は住之江のサンディで買った赤飯で祝うようだ。

(H26.12.19 SB932SH撮影)
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マックスバリュ富雄南店の三元豚ロースカツ丼

2015年09月12日 09時21分10秒 | あれこれテイクアウト
おふくろが持ってきて欲しいと前日に買い物を済ませたマックスバリュ富雄南店。

10月半ばに開店したイオンタウンの基幹である。

ここにはジョーシン電機もある。

我が家から車でわずか数分。

ありがたい地に買い物施設ができあがった。

大和郡山のイオンモールは上三橋町。

信号や遮断機を渡らなければならない。

距離的には近いのだが、まぁまぁの10分。

近くて便利なのが富雄南のイオンタウンだ。

おふくろが検査を受ける大阪馬場町に出かけなくてはならないがこの日は仕事。

送迎を終えたころは昼を過ぎていた。

昼食はどこにするかである。

阪奈道路の三碓へ行く通り道にあるマックスバリュ富雄南店に立ち寄った。

買うのは弁当だ。

前日の木曜日にも買い物をしたマックスバリュ富雄南店。

なんとM寸卵パック10個で58円。

税抜きではあるが安い買い物だ。

ただし、だ。新店舗開店まもない特別価格はその後において98円になったことを付記しておく。

イオンモールの特売日は火曜日。

朝7時、9時に午後2時、4時に売りだされる卵パックは税抜き98円だ。

ただ、マックスバリュ富雄南店の卵パックは1000円以上の買い物を要する。

それはともかく昼食の弁当はどれにするかだ。

イオンモールもあるが、マックスバリュ富雄南店はまた違う。

なんやかや探してみて選んだのは三元豚ロースカツ丼。

税込み価格で410円。

買い物袋が不要なら2円引き。

お箸をもらってシール貼り。

お買い物はただそれだけだ。

買った丼はいつもの通りの車中食と思ってお店を出ようとした。

そのときだ。

気がついたカンウターコーナー。



弁当やパンを買った人に食べていただけるイートインコーナーである。

場は北側出入り口だったのでこれまで気がつかなかったのだ。

お茶もお水もサービスでゆったり食べられるコーナーには子供連れやお一人さんが何人か利用していた。

食事をしながらスマホをいじくる人もいる。

椅子に腰かけていただく三元豚ロースカツ丼。

こだわりの厳選素材で調理したもの。

加工した日は前日の19日。

消費期限はこの日の午後2時だった三元豚の原産地はポーランド他と書いてある。

白飯は国産米だ。

鶏卵、タマネギにグリーンピースの産地表示はない。

丼に盛ったロースカツは卵とじ。

白飯が隠れて見えないぐらいに盛ってある。

コーナーに置いてあったレンジでチン。

待つこと1分間である。



がっつりいただく三元豚はやや厚い。

ロースに味が染み込んでいる。

サクサク感はないが、白飯も美味い。

卵は何個使っているのか判らないぐらいに量が多い。

食欲増す丼の味わい。



寛いで出発した。

(H26.12.19 SB932SH撮影)
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トライアルのてりマヨハンバーグ&唐揚げ弁当

2015年09月11日 08時55分17秒 | あれこれテイクアウト
仕事を終えて買出しするスーパーセンタートライアル大和小泉店。

毎日が安い大和小泉店は24時間営業。

普段の買い物も出かけるスーパー。

この日はおふくろが住む住之江に持っていく買出し。

品物はエクストラバージンオイルに箱なしテイッシュペーパーだ。

この日の朝は国立病院大阪医療センターでMR検査。

何日か前から頭の上がドン、ドンと鳴ると云うのだ。

それより数日前は眼から膿が出たと云う。

目医者で必要な処置を講じてそれは治った。

眼と頭の上が響く関係性は判らないが、気持ち悪いと症状を訴える。

通院している畠中先生に相談したら即刻紹介状を書いてくださった国立病院大阪医療センター。

頭の中でおかしなことになっているかもしれないので検査をしておこうということになった。

新しく送迎ドライバーが任に着いたばかり。

新しい相方は交替することもできず、送迎の仕事は休めない私をかばってかーさんがついていくことにした。

この日は受診だけでMR検査は19日になった。

受診を終えた二人は住之江に戻る。

そこで落ち合うことした。

仕事が12時半過ぎに終わってトライアルの買出し。

ついでというのもなんだが、私の昼食も要る。

買った弁当はてりマヨハンバーグ&唐揚げ弁当。

これまで数々の弁当を食べたが、これは初めてだ。

価格は299円。

ニコマル弁当時代の価格が懐かしい。

お店のレンジでチンして温めた。

久しぶりの車中食だ。

この日の朝は薄氷が張っていた。

突風も吹き荒れる寒い日。

温めた弁当はあっという間に冷める。

ニヌキタマゴを乗せたハンバーグ。

間にマヨネーズがある。

これのどこがてりマヨなのか判らないがジューシーさはない。

唐揚げはいつもの通りで美味しいが冷たい食感に参った。

(H26.12.18 SB932SH撮影)
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