マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

北白木高オカミ神社女座

2013年01月21日 07時43分24秒 | 桜井市へ
午後の光りが挿し込み紅葉が美しい。

この日は高オカミ神社の祭礼のひとつになる女座(おなござ)が行われている。

竹で作った高張提灯台。

手作りの提灯台は味わいがある。

それぞれの家の人が持ち寄る北白木の村集落は15戸。

昨年は16戸だったというから1戸が減ったようだ。

「5月から6月にかけてのことだ。平坦に牛がいた。こっちからは炭をつけて持っていった平坦。換わりにスイカをつけていなかに帰らせた。長谷寺の観音さんとこで待っておれば戻ってきた牛。腰弁当をさげて長谷寺に向かった」と話す長老たち。

平坦の地はどこであったのか聞きそびれたがおそらく田原本町辺りではないだろうか。

50年ほど前にあった牛の貸し借りのことである。

北白木にはかつて左座、右座があった。

家筋の長老が太夫を勤めていたが、村行事となった現在は一老が太夫役だと話す。

現在の長老は一老から六老までの六人衆。



二日前に行われたことと同様にオシゴクを作る。

オシゴクは一升枡ぐらいの木の器にメシを詰め込んで作るオシメシである。

一つは本社に供える四角いメシ。



宵宮座と同じように笹(かつては五枚笹)を敷いた上にゴンボ(ゴボウ)、トーフ、サンショの実を皿に盛って折敷(おしき)に置く。

サンショの皿にはヤキジオ(焼き塩)も盛る。

カシの木で作った太い一膳の箸を添えて本殿に供える。



もう一つは形が異なる三角三辺の形のメシ。

それは末社に供えるメシで3個を作る。



それぞれの神さんに供えるオシメシ。

枡の蓋で押して作るからオシゴク。

漢字を充てれば押し御供であろう。

本殿でのお参りもなく20分後に下げられたオシゴク。

笹の葉をともに持ち帰るのは旧当屋だ。



サンショやゴンボも持ち帰った30分後。

北白木の婦人たちが神社に集まってくる。

これから始まるのが女座である。

オシゴクを供えたときには居なかった婦人たちが勢ぞろい。

座の中央、上座には太夫(たゆう)と呼ばれる長老が座る。

太夫周りを囲むように席に着いたのが婦人たちだ。

下の席には六人衆のほか男性たちも座る。

それぞれの席にはパック詰め料理が配られる。

当番の人たちは炊事場で支度をする。

祝儀受けを伝えられて始まった女座。

12日に行われることから十二日座とも呼ばれる酒宴の場である参籠所に幕を張る。



女性向けの新酒も注がれる。

座のまん中には温められた甘酒もある。



それも器に入れて配膳される。

オトサシの祭典でも登場した甘酒。

北白木の行事は甘酒がつきもの。

神さんであると云われる由縁である甘酒。

収穫した粳米を蒸して麹菌を入れる。

それを沸かして味噌を作るような感じで発酵器に入れる。

2日間そうしておくと柔らかくなる。



炊いてできあがった甘酒はとても甘くて美味しい。

米の粒が残っていて口当たりもいい甘酒である。

お酒がすすんで座の会話も弾んだ1時間後。



温かいトーフ汁や手作りの香物も口にする。

そうして椀に盛られたカシワメシ。

三角のアブラゲやヒネのカシワを入れて炊いたメシにはネギも入っている。



ヒネの親鳥の鶏肉を使っているだけに出汁が濃い。

1升5合も炊いたカシワメシは何杯もおかわりをしてしまうほどに美味い。

カシワメシの味付けはショウユと少々のお酒を入れた。

水は控えめにすればお米がパラっとすると話す当番婦人。

パック料理を口にすることはできないがカシワメシをほうばる。

(H24.11.12 EOS40D撮影)

まいどおおきに食堂きつねうどん

2013年01月20日 09時01分15秒 | 食事が主な周辺をお散歩
仕事を終えて取材に出かけるお昼どき。

ご飯を食べればお腹が膨らむ。

食べなくとも膨らんでいるお腹はそれ以上は受け付けない。

うどんぐらいなら受け付けると思って入店したのは「まいどおおきに食堂」。

各地にお店がある。

この日は筒井町食堂。

かけうどんばかり食べている食堂だが、奮発してきつねうどんにした。

「ごはんは」と声を掛けて勧める店員さんにあっさりと「それだけです」と応える。

かけうどんは150円。

きつねうどんなら200円。

いずれも税引き価格。

であればきつねのあげさん一枚が50円と計算できる。

支払いを済ませたらサービス券が渡された。

玉子焼き1個、うどん1杯が50円のサービス券だ。



いずれも一人一枚が利用できる。

たしか、前にはうどんが100円引きだったっけ・・・。

うすいきつねあげが丼にのって持ってこられた。

それだけならつまらないからワカメと天カスをトッピングした。

出汁はカツオかコンブ味。



すっきりとした透明な出汁が喉を潤す。

つるつる麺も喉越しがいい。

それだから食べたくなるまいどおおきに食堂のうどん。

きつねあげはあっさりとしている。

ほんの少しでいいから濃い目の味にしてほしい。

先日食べたつるまる饂飩のきつねのほうが味は濃い。

しかもでっかい。

器からはみ出すぐらいだから2枚折りにしてのせていた。

(H24.11.12 SB932SH撮影)

ツルカメ飾りから

2013年01月19日 08時26分34秒 | 楽しみにしておこうっと
ウル(閏)の行事を教えてくださった下山田の住民。

なにかとお世話になった。

この日も大和の民俗写真展のお礼に伺ったご主人。

三日三晩もかけて作ったツルとカメの飾りもの。

陰干しをした稲藁で作っている。

ある方が作っておられたのを拝見して作ってみようと一念発起。

昨年から手掛けたそうだ。

今年も作った宝船は立派なものだ。

丁度良いところに来たからとツルカメの一枚をいただいた。

手先は昔から起用だったと笑顔で話す婦人。

あったかいお家である。

ありがたいツルカメの造りものは我が家の正月飾りになった。


(H25. 1. 1 SB932SH撮影)

その下山田では20年に一度の神社造営。

春日神社である。

うるの庚申さんのときには既に工事が始まっていた。

工事も完了して秋祭りも終えた。

一時的に神さんを遷していた仮宮は公民館にある。

遷宮を終えた今は誰も居ないという仮宮は譲ってもらったそうだ。

何に使うかといえば山の上に鎮座するイナリサンの社。

こちらも造営にあたる。

その際の仮宮として残したという。

山のてっぺんにあるイナリサンには毎月8日に参ってアゲサンを供えていた。

いつしか年に2回の4月8日と10月8日になった。

その行事は8日に行うから八日講と呼んでいる。

夕方に参って会所で寄合。

訪れたこの日も十夜。

集まるのは十九夜さんと同じいつもの会所は八日講でも利用している。

ただ、現在はうる行事と同じように集まりやすい8日に近い土曜日にしているという。

かつては雨乞いがあった下山田。

イナリサンが鎮座する山に登って雨乞いをしていた。

太鼓を叩いて願を掛けていたそうだ。

雨乞いは東村の人たちがしていた。

太鼓を叩けば雨が降った東村。

清水や広出の垣内には雨が降らなかったからそれからは村の3垣内でするようになったという。

平成25年に造営の祭典を行う春日神社。

40年前には大神楽もあった。

費用の関係もあって参納する春日大社に頼んだ造営の祭典。

快く受けてくださり大社の巫女さんが神楽を舞ってくれたのが前回の祭典。

今回もお願いをしたそうだ。

かれこれ40年前には下山田にやってきた大神楽。

記憶によれば天理の石上町から神楽中一行が来ていたという。

大八車か、リヤカーに道具を乗せてやってきた一行は5、6人。

笛やチャンボラと呼ぶ摺り鉦を叩いて舞っていた獅子舞。

舞料を増やせば2頭の獅子になったそうだ。

毎年来ていた獅子舞は村中を巡っていた。

竃や蔵にもしていたというから荒神の舞いだと思われる組の名。

別所にも巡回していたようだ。

(H24.11.10 記)
(H25. 1. 1 SB932SH撮影)

針テラスのぶっかけうどんプラスきつね

2013年01月18日 10時15分55秒 | 食事が主な周辺をお散歩
今年で何回目になるのだろう。

取材の合間の昼どきは針テラス。

他店もあるがいつもここ。

つるまる饂飩店である。

いつものぶっかけうどんを注文する。

たまにはと思ってきつねをトッピングした。

きつねあげは50円。

ぶっかけうどんを足して330円だ。

見てのとおりにでっかいきつねあげ。

入りきらないから2枚折りになっている。



無料の天カスはたっぷり盛りこんだ。

つるつる麺はいつもの感触。

出汁は少なめだが食欲をそそる味だ。

次回はかけうどんにきつねあげを盛ってみたい。

(H24.11.10 SB932SH撮影)

中白木高オカミ神社山の神御供神事

2013年01月17日 06時53分00秒 | 桜井市へ
かつては九頭大明神と呼ばれていた中白木の高オカミ神社。

寄進年代が見られなかった燈籠がある。

同神社の拝殿前にある狛犬は2体。

昭和15年11月吉日に寄進された狛犬の台座には「祈皇軍武運長久」の刻印。

戦時前にして祈願した証しでもある狛犬の姿がユニーク。

舌をペロリと出している。

この日は中白木のマツリ。

珍しいことに拝殿前の花立てにお花を添えている。

その花は社務所にもある。

どうやら内部はお堂のようでまばゆく輝く佛像が安置されている。

この日は中白木のマツリ。



コンピラ社(稲荷社かも)、春日社と本殿に山の神の供え物がある。

木で作ったタイ、カマ、ヨキは割合と大き目にある。



それぞれに鯛魚の模様が描かれているから判りやすい。

カマは中折れで稼働式。

手がこんでいる作りである。

三社に供えるのはそれだけでなく台に乗せたモチもある。



ユニークな形のモチはガニノモチ(或いはガニモチ)呼んでいる。

その形は隣村の北白木でもなく南之郷のカニ餅に近い。

五つのユウ(柚子)は串に挿している。



そこには一尾の生サバも供えている。

奈良市北村町のマツリでも拝見した同様の供え方だ。

3年前まではエソの魚だったお供え。

お店でも売っているエソは切り身。

丸太のエソを入手することが難しくなって昨年からサバに替えた。

トーヤ座で受けたサバは開きもあるが3尾も吊るしている。

藁に通したウルメイワシのメザシは12尾。

それは2本あるから合計で24尾にもなる。

本殿と拝殿の間にある鳥居。

そこには左右の柱に括りつけた細工ものがある。



それは文様も入れた木で作ったヤリ(槍)。

それらは本殿だけに供えられる。

中白木のマツリは11月10日。

白木のマツリとも呼ぶ。

前日の9日はトーヤの家に神さんを祀る日。

注連縄を25カ所も張る。

吉野膳に盛られたトーヤ家の昼膳や山の神御供を作る。

その夜は慰労を兼ねてと思われるトーヤ家での夜膳があるようだと芹井のN氏に教わった。

その話を聞いて訪れた中白木のマツリ。

急なお願いに許諾を受けて取材させていただいた。

一年間に亘って神さんを祀り、翌年の3月に社務所で引き継ぐ。

オシメイリをして神さんを交替すると一老に伺った。

中白木における宮座は一老、二老、三老の三人衆。

終身制だと話す。

水の神さんとされる高オカミ神社にはコンピラ社と春日社の2社がある。

かつては子供の太鼓台も曳いていたそうだ。

一老の話しによれば昼のトーヤ座にはナマス、アゲ、シイタケ、ヤマノイモ、イタ(カモボコであろう)の料理膳があったそうだ。

千切りしたダイコンにぐちゃぐちゃにしたトーフを入れる。

トーフを入れた白和えであるがそれをナマスと呼んでいる。

夜の膳では菜っ葉料理や開きのアジなどだと話す。

モチも搗いていたというトーヤの座は今でも健在なようだ。

白木は北、中に南白木の三村だった。

いつしか南白木が全村廃れて中白木となった。

服忌であればトーヤの神さんは親戚筋に預ける。

四十九日が解ければ再びトーヤ家に戻ってくる。

一枚のカワラケで三献の儀式をして受けたトーヤ。

神棚に祀っていた。

次のトーヤにあたったときに古いほうのカワラケを神社の木の下に戻す。

カワラケは神さんなのである。

本社は2段の重ねモチ。

末社はコモチを供えてマツリが始まる。

神事は祓えの儀、御扉開け、オオーと神さんを呼び出す。

神饌を献じて祝詞を奏上。



その次は2本の竹を括りつけた御幣を持って奉幣振り。

左右に振って後ずさり。またもや振って下がる。

三度も振られた奉幣振りの神事である。

神事を終えればお供えを下げる。

ガニノモチも下げられるが本殿に供えたものだけである。

末社のお供えはそのままにしておくという。

それは山に生息する鳥獣たちに捧げる食べ物なのであろう。

こうして中白木のマツリを終えれば社務所で参籠する直会となった。



神事を始める前には中白木の元社とされる山のほうの神明神社へも山の神の御供を供えた。

末社と同じようにガニノモチと山の神の道具だ。



帰り際に気がついた花立て。

ゴクダイもあった庚申石。

当地も旧暦閏年の庚申を行っていたようだ。

(H24.11.10 EOS40D撮影)

北白木高オカミ神社のオトサシ

2013年01月16日 14時50分13秒 | 桜井市へ
山の神参りから戻ってくれば甘酒作り。

麹菌を入れて3日間寝かした甘酒に味をつける。

下味に砂糖と酒を入れる。

生姜を入れれば出来あがるが、それは食べる直前である。

そうして始まった三献の儀式。

この日に行われる行事名は私祭と書いてオトサシと呼ぶ。

六人衆と受け当屋が決まった席に座る。

中央に立つのは二人の酒注ぎ。

それぞれに朱塗りの酒杯器をもつ。

男の神さんと女の神さんだという酒杯器。

金色で飾られた尖がりのあるのが男の神さん。

銀色で中央に寄せられているのが女の神さんだという酒杯器である。

男の神さんは右で女の神さんは左に立つ。



そこでくるりと内廻りに三回廻る。



男の神さんから酒を注がれる女の神さんの酒杯器。

始めに酒を注ぐのは長老の一老。



注ぐのは女の神さんとされる酒杯器からである。

六人衆の長老は6人居るから末席は六老となる。

酒を受けるのは白いカワラケ。

カワラケは小さな板編に載せて受ける。

三回注ぐ酒を受けて飲む。

それを済ませば二老に移る。

同じように作法をして飲む酒杯の儀式。

三老、四老、五老、六老へと移っていく儀式である。

六人衆は酒を飲み干せば懐紙でカワラケをぬぐう。

奇麗にしてから次に渡すのである。

これを三回繰り返す。

いわゆる三献の儀式で三三九度であると話した酒杯の酒は甘酒。

先ほど調理した甘酒の上澄みを掬って酒杯器に入れられたのである。

三周すれば一老に酒を注ぐ。

そのカワラケを受け当屋に渡される。

10月9日にクジを引いて決まった受け当屋。

今年はM家があたった。

かつては当屋の長男が受けていたという。

三献の酒は受け当屋も飲む。



それを受けて一老がもう一杯飲む。

当屋受けの儀式はこうして終えたが作法はさらに続く。

中央に座った一老は懐紙を広げた。



そこに置いたカワラケは2枚。

内側を重ねた二枚である。

それには両側から木の台も添えられた。

丁寧に懐紙に包まれた二枚のカワラケは受け当屋の袖に入れた。



こうして神さんを受けた当屋は神社を後にして家路につく。

サカキの葉を口に銜えて向う当屋の家。



ここにも庚申トアゲの塔婆を玄関飾っている。

家の守り神なのであろう杉の塔婆には平成10年とあった。

授かった神さんは神棚に供える。

灯明に火を灯して神迎えを終えた。



一言も口をあけることなく済ませた当屋受けの作法。

これもまさに神事であろう北白木の「オトサシ」。

「私祭」の漢字が充てられているが読みは判らない。

もしかとすればだが、「私祭」は「渡し祭」ではなかろうか。

旧当屋から受け継いだ新当屋。

いわゆる当屋渡しの作法であった三献の儀式。

「オトサシ」の名は「お当屋渡し」が訛って「オトヤワタシ」。

さらに短くなって「オトヤワシ」。

それがいつしか「オトサシ」になったのではないだろうか。

「オトサシ」は「オトヤワタシ」と仮定して推定したがどうだろうか。

社務所では三献の儀を終えた六人衆たちが参籠している。

神さんに供えたメザシは当番の人がコンロで焼く。

それを肴にして甘酒を飲む場。

甘酒は当屋家で作られた。

8日の晩に麹を入れて3日間も寝かせた甘酒である。

茶碗にショウガを盛って神さんに供えていたという。

メザシを肴に当番の人も交えた歓談の時を過ごす。

(H24.11.10 EOS40D撮影)

北白木の山の神参り

2013年01月15日 11時08分44秒 | 桜井市へ
早朝から高オカミ神社に集まってくる北白木の男性たち。

六人衆並びに氏子の人たちだ。

早速作業に取り掛かる。

できる人なら何を担っても良いと云って社務所の縁側辺りで工具を取り出す。

見本を参考に作っていく。



板編を切り取って作っていくのは数々の農具に山仕事の道具もある。

それらはミニチュア道具でクマデ、クワ、スキ、カマ、ナタ、オノ、ノコギリの七つ道具。

柄は竹を細く切ったものだ。

それらの道具に墨を塗る。

そうすれば道具らしくなったと話す人たち。

これら山の神の道具はもうひと組作って本社にも供える。

一方、社務所では二人の長老が本殿に供えるウルメイワシのメザシを細藁に一尾ずつ頭から通していく。

止めをいれて一本、一本の手作業。



12尾をそれぞれ2組作る一老と二老。

一老は太夫とも呼ばれる最長老。

縄を本殿と鳥居に渡してそこにメザシを括る。



名前もなく吊るした御供。



12尾の数は一年の月数と思われるが理由は判らない。

山の神に供える七つ道具を作っている間にもう一つ。

節目を端にした細い竹。

真ん中部分は削って曲げられるようにする。

これが難しいと、崩れないように二つ折りにして藁で括った。

山の神さんに供える御供に食べ物がある。

前日に当屋が搗いたカニノモチ。

セキハンのオニギリをと共に太い藁束に挿しこんだ。

内部は僅かばかりに見え隠れするお供えのモチとセキハン。

一方を縛ってぶら下げるようにする。



これをホデと呼んでいる。

そうこうしている間に本殿にお供えが置かれた。

膳に載せたのは二枚のカガミモチ。

その上にはカニノモチもある。

セキハンも添えてお供えをした。



神酒口を開けてお神酒も供える。

四社の末社には一枚のカニノモチを供える。



山の神さんに奉るものものが出来あがり、本社のお供えを済まして出かける山の神参り。

手伝いの二人は軽トラに載って山のほうへ向かっていく。

一般乗用車では到底行けない山の道。

急坂をぐいぐい登っていく。

山の神さんのご神木にぶら下げる御供。



昔からこの木にしているが木の名前は知らないという。



同一名称のホデの呼び名をもつ地域に吉野町小名の山の神がある。

ホウデンと呼ぶ地域では山添村菅生の後出垣内の山の神がある。

ホウダイと呼ぶのは山添村春日、切幡の山の神。ホウガンと呼ぶ地域に山添村菅生の峯出垣内の山の神がある。

山の神さんだけでなく奈良市水間町八幡神社の祭り宵宮ではホウダイだ。

室生下笠間の山の神ではこれをホウサンと呼んでいる。

山添村鵜山でもホウサンの呼び名がある。

いずれも同じような形をもつ藁苞である。

こうした呼び名を並べてみれば北白木や小名で呼んでいるホデはホウデン或いはホウダイが縮まったのであろう。

「ホウ」はおそらく「奉」の漢字があてられるのではないだろうか。

「デン」や「ダイ」は「殿」、「大」かも知れない。

峯出垣内の呼び名の「ホウガン」から推定するに男のシンボルそのものを呼ぶ地域名だと思えるのである。

山の神さんは女の神さん。

女性は入ることが許されない地。

女の神さんに「奉る」男の印であろう。

北白木に奉る山の神はヤマカミの地。

小字ではテンノウと呼ぶそうだ。

神社から軽トラックでも5分ほど要する山行きの道。

登りきった山頂は貝ケ平。



今でも埋もれていた古代の貝が出土するという。

その途中お堂があるそうだ。

ナンテンの枝葉を一枚添えた竹の神酒入れも木に吊るして手を合わせる。

ちなみに山の神道具は製作見本に使われたあとはどこへ残されるのか。

尋ねた結果は本社寄りの木の下。

カワラケとともに埋められている。

(H24.11.10 EOS40D撮影)

北白木当屋の御幣

2013年01月14日 22時54分15秒 | 桜井市へ
御供下げを見届けた当屋が動いた。

奉幣振りをされた御幣は当屋が自宅に持ち帰る。

樽桶に入っているのは前日に麹を仕込まれた甘酒。

飾っていた小さな御幣を外した同一場所に送られた御幣を後方に立て祀る。



昨日に搗かれた当屋のモチは一升。

なかでも特異なのは丸モチに五つのコモチ。

熱いときに小さく千切ってくっつける。

それをカニノモチと呼ぶ。

カニノモチは八つ。

御供されたあとで六人衆に配られる。



残りの二つは山の神に供えるホデの内部に入れる。

ホデは太い藁束。

その中にセキハンのオニギリを二枚入れる。

それを重ねるように二枚のカニノモチも入れるホデだという。

聞きなれないカニノモチは何であるのか。

ふと思い出したカニノモチの名。

『奈良県の祭り・行事』を収めた県の行事調査報告書が手元にある。

初瀬三社権現の三社権現祭における南之郷地区が供える餅である。

その名はカニモチ。

北白木とは形が異なるが名前はほとんど同じ。

木板に載せたモチは丸モチと舌状のモチ。

丸餅の上に載せて足のように見えるモチ5本。

それをカニモチと呼ぶが北白木との関係は判らない。

神さんを祀ったT当家の玄関口の小屋根にあった庚申塔婆。



なんでも何十年も前にヤドを勤めたときのものだという。

青面金剛講中安全など願文は残っていたが年代記銘は見られない。

西垣内の庚申トアゲは東垣内が行われた翌日の平成24年4月8日に行われた。

垣内の戸数は10軒。

以前はもっとあったというから戸数の回りの庚申ヤド。

旧暦に営まれるトアゲは2、3年に一度。

4年の間をあくこともある。

仮に3年回りとしても30年に一度が回ってくるヤド。

もう一本あると拝見した塔婆にも記銘はない。

なくともそれ以前の30年を足せばおよそ60年前。

家の歴史を物語る旧暦閏年の庚申トアゲの塔婆である。

この年に旧暦から新暦に替えられた北白木のトアゲ。

10戸であればひと回りするには40年も要することになった。

祭りのことを聞いたT当屋家を出たときだ。

庭先を出て道に出る直前にあった2本の竹の棒。

先端は焼けている。

話によれば8月のお盆のときに迎え、送りをした松明痕だという。

13日の夕方に戻ってくるオショウライサン

迎えのときは竹の先端に藁を取り付ける。

それに火を点けてオショウライサンを迎える。

鉦を叩きながら家に迎え入れるという当主。

「かえらっしゃれ」と云って迎えたそうだ。

15日はオショウライサン送り。

家から鉦を叩いて向えと同じように藁に火を点ける。

「いなっしゃれ」と云って送るのだという。



2月2日にはクルミモチを作って重箱に納めて供える。

その日の昼にはご馳走をよばれる「二月当屋」と称される行事が行われるそうだ。

1月18日、5月18日、9月18日、11月18日の日には「オシメイレ」。

当屋の営みである注連縄掛けだ。

その証しが当屋家の神棚に奉られた注連縄。

その本数がある。



当屋家では神棚だけでなく玄関にも「オシメイレ」が行われる。

(H24.11. 9 EOS40D撮影)

北白木高オカミ神社の宵宮座

2013年01月13日 06時53分38秒 | 桜井市へ
北白木の宵宮座の神事。

座中は高オカミ神社の拝殿に登る。

神職を勤めるのは瀧倉の宮司。

先代のi氏から継いだ娘の宮司さんである。

祓えの儀、御扉開け、オオーと神さんを呼び出す。

神饌を献じて祝詞を奏上する。

御供は本社およびオイナリサン(稲荷社)、カスガサン(春日社)や山ノ神さん(実際は山のほうであるが遠いことからここに奉る)などのマッシャサン(末社)に供えるがもう一つ。



取材に来ていたSさん曰く陰陽石だとする石にも供える。

次が2本の竹を括りつけた御幣を持って奉幣振り。



左右に振っては後ずさり。

またもや振って下がる。

三度も振られた奉幣振りの神事である。

撤饌をされて御扉を閉じて終えた高オカミ神社。

それぞれの家で作られたセキハンは神さんに供える。

お寺の行事であってもそうしていると話す村人の御供。

そのあとは頼んでいたパック詰め料理をいただいて社務所の参籠直会。

供えたセキハン御供も下げてともに会食。

しばらくの間を過ごす。

残ったのは終身制の六人衆たちである。

年齢順で組織される六人衆の最長老を一老と呼ぶ。

北白木は15戸。

この日に参集した人たちは13人。

撤饌を済ませて御扉閉めで終える。




神事を終えた村の人は家で料理したセキハンを供える。

めいめいの家がこしらえたモチゴメのセキハン。

それは風呂敷に包んで持ってきた。




手を合わせてお供えをする。

参拝を済ませた参拝者は風呂敷に包んで家に戻っていく。



参籠所に残ったのは六人衆と当番の人。

これから作っていくのがオシゴクと呼ばれる御供である。

一升枡に新米のご飯を詰め込んで作るオシゴクには2種類ある。

一つは枡の形そのもので真四角。



それほど多く盛らずに平な形である。

笹の葉を敷いた朱塗りの膳にそれを置く。

周りには2枚の皿がある。

一つはゴンボ(ゴボウ)にトーフを添える。

もう一つはサンショの実だ。

サンショの皿にはヤキジオ(焼き塩)も盛られる。



太い一膳の箸を添えて本殿に供える。

昔は毎年作っていたというカシの木の箸は神さんが食べる箸である。

末社に供えられるオシゴクの形は本社とは異なった三角形である。

同じようにご飯を詰める一升枡。

縁に寄せて蓋で押す。

三辺三方の三角型のオシゴクは特殊な形。



なぜにそのような形にするのか判らない。

神事を終えた後で神さんに供えるあり方。



10分ほど供えたオシゴクの御供を下げられる。

どういうことであろうか。

僅かな時間の御供はどういう意味を持っているのだろうか。

かつては千本杵でゴクを搗いていた。

杵の本数は2本。

太夫と呼ぶ一老が最初に搗いて、そのあとは千本杵搗き。

そんな時代は当屋の家で搗いていたと話す。

(H24.11. 9 EOS40D撮影)

動かないキマダラカメムシ

2013年01月12日 08時12分07秒 | 自然観察会(番外編)
大谷池手前の枝にはたくさんの鳥がとまっていた。

カワラヒラだと思われるが・・・。

近くまで寄っているのにすべての鳥は身動きしない。

望遠を持ってこなかったことに後悔したこの日。

話は替るが、一週間前に見つけたカメムシ。

勤務先の玄関前にじっとしていたカメムシ。

奇麗に光っている。ネット図鑑調べてみればキマダラカメムシのようである。

(H24.11. 8 SB932SH撮影)