マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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戒場戒長寺の難除

2013年03月25日 07時47分56秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
榛原の戒場(かいば)は額井岳の東側の戒場山中腹の山麓。

急坂を登っていけば戒長寺がある。

真言宗御室(おむろ)派の寺院である。

創建年代は明らかでないが所蔵する仏像などから平安時代後期であったと推定されている。

薬師如来の眷属とする十二神将像を鑄出した鐘楼門の銅鐘は珍しく、正応四年(1291)に寄進されたようだ。

この日に訪れたのは正月初めに祈祷される難除を拝見することにある。

かつては尼僧がおられたという戒長寺。

亡くなられたことによって数年前に新任についた住職に取材のお願いをすれば「村の行事であるから自治会長の承諾を許可が要る」と云う。

しばらくすればやってきた村の人たち。

急なお願いであるが快く了承してくださった。

なにゆえに戒場に来たのか村の人から声があがって十五社神社社務所内において自己紹介並びに取材目的を伝えてご了承を得た。



古くから伝わる版木でお札を刷っていくのは住職。

墨汁を浸けて半紙に刷る。

朱印はないが刷った版木から戒長寺の文字や梵字が見られる。

社務所で「シカ」と呼ぶ紙垂れを作る自治会長と長老。

幣と思われる竹串に紙片を丸めながら交互に貼り付けていく。

「シカ」はおそらく「四花」ではないだろうかと話す長老のSさん。

「シカ」は12本作る。

毎年作る「シカ」は12本。

十二支であるかもしれないと話す。

梵鐘にあった十二神将像の数とも一致するころからそれかも知れないと云う。



一方、社務所の外ではカンジョウナワ作り。

持ってきた稲藁は数多い。

1軒について3束を持ってくるそうだ。

縄結いは時間がかかる。

一人は心棒にあたる部分を引っぱって3人が藁束を手渡す。

受け取った3人が右巻きにして拠っていく。

力が要る作業を続けて縄を長くする。

カンジョウナワは長さが10m、8m、7mの長さの3種類。

7人がかりで結っていく。

お札は牛玉宝印の書。

ごーさんの名で呼ぶところが多い。



そのお札は四つ折りにしてススンボの竹に挿し込む。

出来あがったカンジョウナワはぐるぐる巻いてトグロのようにする。

そこに挿すのが「シカ」である。

その間に挿しこんだのは12本のモミジの小枝。

同じ本数である。



大事そうに抱えて戒長寺に運ぶ。

ごーさんも運んでお堂内に納める。



こうして準備が整ってのご祈祷。

堂下にはフジツルの木を持った村人が立ち並ぶ。

住職が唱える初祈祷のお念仏が聞こえてくる。

今か今かと待ちかまえる村人たち。



住職がランジョー(乱声)と発すればフジツルの木を堂の階段に置いた板を叩きつける。

村から悪霊を追い出すランジョーの作法は間をおいて3回も繰り返す。

叩く人たちは「ナンジョー」と囃して叩く。

一般的に呼ばれている乱声であるが戒場では「難除」の字を充てる。

村の難を除くという意味であろう。

フジの木を使うのは「不治の病」にならないようにという願い。

フジの木を割れるぐらいに叩く。

高野山で修業された住職が云うにはフジではなくハゼの木。

高野山真言宗ではそうであると話す。



五穀豊穣、村内安全を祈願した初祈祷は年の初めの村行事であるが、オコナイはまだある。

軽トラに乗せたカンジョウナワはダイモンの地に持っていく。

竹藪に覆われた旧道をほんの少し下る。

まるで谷筋を行くような旧道。



両端にそれぞれ括るカンジョウナワ。

「シカ」の幣とモミジの枝木が揃えばいいが捩ったナワに流れがあって揃わない。



そうしたことはお構いなく掛けたカンジョウナワ。

今年一年が無事に過ごせるように村に入ってこさせないカンジョウナワを掛けた。

かつて礎石が発掘されたと云うダイモンの地に掛けた。

ダイモンの地は大門(だいもん)があった処である。

2種の樹木に掛けたのをゴヘイと呼んでいる。

カンジョウナワは村に悪霊が入ってこないようにとこの地に掛けた。

戒場の村は上に11軒で、下が3軒の14軒の集落である。

ダイモンの地は上と下を繋ぐ旧道であった。

戒長寺の門であったとされる大門跡が小字の名に残されたのであろう。

ダイモンはかつての参道。

ここを潜って寺に入っていた。

平成4年に榛原町教育委員会が発掘調査された資料によれば戒場遺跡から12世紀代の建築遺構が発掘されたとある。

ダイモン以外にカネノカイト、ゴマヤマ、ドウバタ、ドウザカなどの小字が伝わる戒長寺南側にある集落内。

カネノカイトは梵鐘があったとされる垣内であろう。

ゴマヤマは護摩の山。

ドウバタは寺院お堂の側。

ドウザカは寺に向かう坂であったと思える小字名であることから現在の集落全体が戒長寺寺院内であったと想定できよう。

僧坊跡と思われる掘立柱建物遺構や出土した須恵器、瓦器、土師器、青磁から12世紀代の平安時代の寺院跡と推定されたようだ。



ホウノキ(朴の木)に掲げたゴヘイ。



お葉つきイチョウにも取り付けるゴヘイの縄。

こうして終えた難除の儀式。

社務所に戻ってひとときの直会を過ごす。

8m、7mの縄は境内のご神木とされるお葉きつきイチョウとホウノキに括りつけて終えた。

(H25. 1. 3 EOS40D撮影)


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