マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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竹之内町十二神社の祈年祭

2017年12月31日 10時07分02秒 | 天理市へ
昨年の5月3日に訪れた天理市竹之内町の苗代。

以前、拝見した場に松苗がなかった。

松苗どころかイロバナも見られない。

しかも、かつて稲作だった地は耕していることもなかった。

探してみれば、そこだけのようだ。

写真を撮っていたら、柿栽培をしている男性が話しかけてくれた。

竹之内町十二(じゅうに)神社に豊作を願う祈年祭がある。

その行事に奉った松苗をたばって苗代に立てているのはたったの1軒。

いずれは消滅するかもしれないと話していた。

そうであれば喫緊の課題。

数年前に神社の所在地を探したこともあるが、村の人が指さす方向には辿り着かなかった。

いつしか、その記憶も遠ざかっていた祈年祭。

行事日は不定と聞いていたので、ますます失念してしまっていたが、課題は待ったなし、と思った。

鎮座地、並びに行事日を確定したく竹之内町をうろついた1月24日。

通院している病院からはそれほど遠くない。

リハビリ運動を終えたらフリーになる。

こういう時間は探訪目的に集落を歩いてみる。

この日もすれ違うことはない。

ある家に車が戻ってきた。

降りた男性に声をかけて教えてもらうが要領を得ない。

あっちの山の方だというから歩いてみる。

坂道を登っていくが、一向にたどり着く気配を感じない。

このまま行けばお山まで。

冷たい風がふぶく。

ここでもリハビリ運動かと思いながら集落を中心部に入った。

数人の声が聞こえたので、ご存じであれば、と思って声をかけたら、今年のトーヤ(当家)務めにあたっている宮総代のFさんだった。

十二神社の祈年祭に務める斎主は石上神宮の担当神職。

日程決めはだいたいが2月半ばの先であるが、2月に入ってから担当神職と日程を調整するとも云われていた。

決まれば電話をしてあげると云われてほっとする。

竹之内町の集落は6垣内。

北、中、輿、南、登り、辰巳垣内である。

池南側に小字“山の神”がある標高100m以上の高地に位置する珍しい環濠集落。

旧村40戸からなる集落である。

祭りに務めるトーヤ(当家)は4人。

祈年祭に奉る松苗作りをする。

祭りの前日に山入りした山中で伐ってくる松はオン松(雄松)。

昨今は山入りしてもなかなか見つからなくて、入手困難な時代になってきたうえに戸数分40本も作るというから苦労絶えないそうだ。

神社の所在地は池の北側にあると教えてもらって徒歩で行く。

小字明神谷に鎮座する神社にたどり着くには軽トラで入ることのできる池(三間塚池:さぎづかいけ)堤つたいの道に沿っていけばよいと云われて、やっと着いた。

神社に登る参道下に手水鉢がある。



どことなく風情を感じた手水鉢に刻印があった。

「享和二壬戌歳(1802)九月」の年代が判読できた。

2月に入ってすぐに日程が決まるようでもなかった。

電話を待ってはいたものの、2月14日もリハビリ運動の通院日。

帰路に足を伸ばして確かめた行事日程日は地区掲示板に貼りだされていた。

その1週間前の14日は未だ決まってないらしく貼ってもいなかった。

半ば辺りに決まると云っていた通りの通知であった。

現認したら、確認したことを宮総代に電話しておく。

あらためて行事取材の承諾である。

平成25年の5月8日

竹之内町で初めて拝見した水口の祭りに感動してから4年も経っていた。

水口に供えられる松苗の在り方が、ようやく実現できることに嬉しさがこみ上げる。



4人のトーヤ(当家)が前日に作っておいた松苗は50本。

2本で一対の松苗を藁紐で1束括り。

そう云っていたが、実際は3本括りだった。

軸の方を稲藁で括る。

祈祷札のようなお札は竹之内町では見られない。

話しが弾んで作業時間よりもしゃべりが多くなり、深夜まで食い込んだ、と笑って話す。

奉る松苗はすべてが大きなチンチロ付き。

そうであるから採取も難しいようだ。

コトハジメの祈年祭に願う村の豊作祈願に奉った松苗だ、という。

2段重ねの大きな鏡餅に洗い米や塩。

新鮮な鯛、ゴボウ、ニンジン、キノコ、ホウレンソウにスルメやコンブ。

さらにはリンゴに柑橘類も供える神饌御供は氏子総代が用意する。

そして始まった祈年祭の神事。



宮司一拝、祓の詞に、御前に一同揃って一拝する。

献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌、宮司一拝で終えた。

下げた御供は神さんの前でよばれる直会の場に運ばれる。

一つは細く切ったスルメに板昆布。



これを肴にお神酒をいただく。

もう一つの皿は果物だ。



包丁で皮を剥いたリンゴは食べやすいようにくし形切り。

「でこぽん」を品種改良した柑橘類の「しらぬい」は皮を剥いて1房ずつ盛ってくれた。

これもするのはトーヤ(当家)の仕事。

男性ばかりの手仕事が実に優しく、県内事例ではとても珍しい、と思った。

しばらくの時間を歓談した直会会場。

時に囁くのは野鳥と風の音だけだ。

かつては鬱蒼としていたという境内の植生。



晴れ間に差し込む光も優しい。

その時間に見つけた折り鶴。



色が褪せていることから、随分前に何らかの願掛けをしたようであるが、氏子たちは気がついていないようだ。

しばらくは歓談していた氏子たち。



40分ほどで直会を終えたら自由解散。

Fさんら他5人ほどが持ち帰る松苗の束。

2束、3束を持ち替える。

松苗は苗代だけでなく、ハウス栽培をしている場にも立てて、イロバナを添えている、という。

コトノハジメに立てると話していたのは柿栽培のFさん。



昨年の5月3日に訪れた際に話してくれた男性だった。

氏子たちが帰ったあとも作業がある4人当家。

神事に用いた器やカワラケは水洗い。



拝殿外にある水道蛇口から流す谷の水で綺麗にする。

タオルで見ず拭いしたら元の場所に戻しておく。

御供下げした大きな鏡餅は4等分。

スルメも板昆布も果物なども4等分して持ち帰った。

ちなみに竹之内町のマツリは10月。

14日の宵宮はゴクツキに幣切り。

そして宵宮のお渡りに神社へ参る。

翌日の15日は本祭。

参拝時にワッハッハと唱和し神石を三周回るらしいが・・・詳しくは聞いていなかった。

(H29. 1.24 SB932SH撮影)
(H29. 2.26 EOS40D撮影)


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