マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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芝・北ノ町のダンジングサン

2018年09月01日 09時47分41秒 | 桜井市へ
大字箸中で行われたノグチ行事を拝見していた。

その次に訪れたのは箸中の中垣内にあるという転がし地蔵石仏

所在地を確認した次はどこに行けば民俗に遭遇するのか。

車が向かった先は箸中の隣村になる桜井市の大字芝である。

昨年の7月24日は箸中それぞれの垣内ごとに地蔵盆があるとわかった地蔵さん巡り。

行事場の確認にぐるりと巡っていた。

その一角に隣村の大字芝に地蔵盆をしていることがわかった。

すぐ近くの和菓子屋さんの北橋清月堂の通りはかつての古道。

その名も上ツ道と呼ばれた古代の幹道である。

やがて時代を経て長谷寺詣でに通る上街道の名で呼ばれる古道である。

大字芝で拝見した仕掛り中の地蔵盆は芝の人たちの行事である。

街道を隔てた東側に大神宮の石塔が建っていた。

この日は7月16日。

たぶんにダンジングサンの行事をしている可能性がある。

そう判断して車を走らせたら、数人の人たちが集まって行事の準備をしていた。

午後4時に提灯を調えて笹竹を立てる。

大神宮の石塔には御供も揃えておく。

それから1時間後には拝むだけやという神事が執り行われる。

そう話してくださった北ノ町の人たちに急遽お願いした行事取材である。



かつて岩田村と呼ばれていた桜井市芝は、北垣内、中、南、西の垣内の他、寺垣内があるようだ。

当番の組は垣内の廻り。

4年に一度の廻り当番の垣内組が御供などを持ち寄って祭事を行う。

7月24日の地蔵盆も同じように廻りの当番班があたる。

実は遭遇する数時間前にも芝に来ていた。

ダンジングサンの様相を確かめに来ていたのだ。

箸中のノグチ行事を拝見してから中垣内の転がし地蔵の場の確認。

それから食事を摂りに橿原市のまほろばキッチンに向きを替えて戻ってきた。

その行程に一軒の家を訪ねていた。

そのお家におられた男性は箸中のノグチを遠目で拝見していたという。

見終わって自宅に戻って涼んでいたところに私がやってきたということだが、お家でお会いするのが初めてだったAさん。

ダイジングサンをする班でないからこの日の行事は参加しないというが、ほぼほぼの時間帯を教えてもらっての再訪である。

提灯を調えていた当番の人たち。

その提灯を立てる提灯棒に「大神宮提燈棒 平成11年7月吉日 第14班寄贈」とあったから現状は班分けのようだ。

この年の代表は9班のNさん。

とても元気な70歳は単車に乗って、連絡ごとなどで忙しく駆け廻っている。

行事を始めるまでの時間を過ごす当番の人たちが佇む大神宮の石塔は、風化はしているものの自然石でできているという。

周囲を見渡してみたが、年代を示す刻印は見られなかったが、「畑 奉納 杉本熊次郎」の名を刻んでいた。

一般的に大神宮の石塔はいわゆる常夜燈型。

ローソクを灯せるように火袋はあるが、ここ芝の大神宮は珍しい自然石そのものの形態。

火袋なぞはない。



木箱に古き時代を示す墨書があった。

「明治三十三年七月吉日 新調 大神宮 北 町内安全」とあるから北垣内の所有物。

今から118年前に新調された御供箱に損傷は見られない。

大切に引き継がれたと伺える木箱である。

ダンジングサン(大神宮)に祭壇を組んで御供を並べた。

御供餅も昆布もお頭付きの干しイワシもすべて袋入り。

行事を終えて垣内に配られる御供であるが、清潔さを保つために袋詰めしていた。

次の壇は袋入りのお菓子を。

その下はペットボトル茶に大きなカボチャ。



最下段も朝取野菜がどっさり並べた。

最近流行りのムラサキシシトウにシシトウ、ゴーヤ、ピーマン、キュウリ、2種のトマト。

艶があるから美味しそうに見える。



そろそろみなが集まってきたから始めよう、と一同が揃ったところで拝礼した。

予定の時間よりも早くに始まった拝礼はローソクを灯してから・・・。



2礼、2拍手に1礼をして終わった。

参拝を済ませた一同は場を移す。

西日の日差しを避けた場は樹木の陰。

涼しく風が通り抜ける場に囲むように座った。



乾杯の合図にお神酒をいただく。

仕出し屋料理店に頼んだ料理を囲んでダイジングサン行事の直会。

大人に混じって子どもも参加している直会だった。



30年ほど前までは家で作ったおにぎりにおかずを詰めた重箱持参の直会。

みんなそうしていたという直会は「籠りの弁当喰い」だった、と話していた。

ちなみにこの日に参列していたご婦人が橿原市の十市郷の行事を話してくれた。

行事の一つに愛宕さんがあった。

掛軸があって変なものがあった。

子どものころのことやからはっきりと覚えていないが、お日待ちもあったという。

お日待ちの籠りの夜は食べあかしていたというから、おそらく北八木町では、と思った。

平成22月の8月24日に取材した八木町の住民がそう云っていたことを思い出した。

婦人が子どものときの記憶の変なものは、おそらく特殊な形で作る御供であろう。

(H29. 7.16 EOS40D撮影)
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