マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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笠・旧暦閏年庚申行事の民俗探訪

2018年03月07日 11時45分39秒 | 桜井市へ
県内各地に行われている旧暦閏年庚申行事を民俗探訪する。

天理市は平坦、山間地を含めて10カ所。

平坦の田原本町では7カ所。

同じく平坦部の橿原市は9カ所。

地区は同じでも講中の違いによって祭る場が異なるので、それも入れての箇所数である。

桜井市も平坦と山間部にあるが、とても多く、その数は44カ所にもおよぶ。

明日香村は11カ所。

隣村の高取町は1カ所。

宇陀市榛原は5カ所。

室生は4カ所。

大宇陀も4カ所。

遠く離れた吉野町に1カ所。

御杖村も1カ所。

私が実際に現地で見聞きした処もあれば、出典の津浦和久氏論文の「民俗社会の地域的差異について~庚申塔婆の形状とその分布~ 奈良県立同和問題関係史料センター 『研究紀要』(題16号)や『田原本町の年中行事』、『甲南民俗研究』、『八咫烏神社文書』、村井正次氏著の『消え去った幼い頃の故里』、『奈良、農と祭り』もある。

また、天理市海知町在住の総代の聞き取りもある。

これらの情報を整理して気づいたのは、忘れられた存在である。

知られていない、或は講中の存在も伝わらず石塔だけが残されているような事例もある。

この日に訪れた桜井市箸中車谷垣内の例もそうである。

事例地域をみる限りであるが、特定の地域に集中していることに気づく。

特定地域はどこまでの範囲であるか、また、塔婆などの形式はどのように分類されるのか。

これらを広く集めることによって伝播の手がかりになればと思っているが、旧暦閏年に実施されている地域の日程が固定されていないのが現実である。

旧暦はややこしくつい忘れがちになってしまうとか、旧暦本の見方がわからなくて日程が組めないという地域がある。

これらの地域は4年に一度のオリンピックがある年に定めている。

オリンピックがある年といえば新暦の閏年である。

旧暦は閏年の考え方とはまったく一致しない。

旧暦は月数で調整している。

しかも数年間の月数をもって調整している関係で定期的な年数間隔ではなく、間隔は2年、3年、3年、3年、2年、3年、3年・・・以下同間隔となる。

ただ、例年の月数は12カ月であるが、旧暦閏年は13カ月。

2回ある大の月と例年の小の月で調整しているのである。

今年の大の月は6月。

つまり5月が2回あるということだ。

前回の平成26年は9月が大の月。

その前の平成24年は3月。

基本的には大の月の期間中に閏庚申をするはずであるが、そうとも限らないのが現状である。

私の知る範囲であるが、だいたいが3月から4月の期間中。

しかも庚申の日を外す地域も増えつつある。

理由は平日であれば集まり難いということだ。

先週の4月2日に実施された宇陀市榛原柳と桜井市出雲は取材させてもらった。

その日は天理市藤井や長滝も同じ日にしていたのであろうと思うが・・・。

他の地区も調べておきたいと桜井市の山間部にやってきた。

つい先ほどまでの取材地は同市の箸中。

車谷垣内に「青面金剛」の石塔は存在していたが講中はずいぶんと前に解散されたのか話しを聞かせてもらった婦人は存知しないし、地区としても祭りごとはしていなかった。

そこより東に登っていけば笠に着く。

箸中の婦人に「こうしんさん」といえば笠の「荒神」さんと思ったようだが、それは庚申さんではない。

旧暦閏年に塔婆を揚げる大字笠の地区は存じている。

昨年の7月にテンノオイシキの祭りに草鞋をかけた地区である。

そこは千森垣内。

2組の講があると聞いている。

その場に向かって車を走らせたら、庚申石の祠の屋根に立てかけるようにあった。

太い竹で作ったハナタテ(花立)に花がある。

この日ではなく数日、それ以上の前に飾ったと思われる花の具合。

シキビに白と黄色の菊の花。

桃色は梅の花は桜だろうか。

塔婆の痕跡がないところをみればヤドを務めた人が持ち帰られたような気がする。

この場を離れて夕刻に関係者の一人に電話をしたら4月2日の午前中にしていたそうだ。

参拝を済ませてヤドの家で飲み食いしていたと話す。

笠にはもう一つの庚申講があるらしい。

そこでは3月26日にしていたというから日曜日。

4月もそうだが庚申の日ではなく日曜日にしていたようだ。

ちなみに千森の旧暦閏の庚申さんは尋ねたHさん曰く、呼び名は「トアゲ」であった。

(H29. 4. 9 EOS40D撮影)