県内の東山間では正月行事のオコナイのなかで木の棒を叩いて村から悪魔を追い払うランジョウがみられる。
それは盆地部ではないと思っていた。
ところが大和郡山市小林町ではそれが今でも行われているというのだ。
小林町内での旧村は20軒ほど。
そのうち15軒が専業農家。
オコナイと呼ばれる初祈祷の御札を挟むのはヤナギの枝だ。
しなりがあるネコヤナギではないという。
というのはオコナイを終えたあとヤナギの枝を折ってしまうのだ。
パキパキと折って4cmぐらいの長さにする。
そのヤナギには御札を挿しやすいように切れ目を入れておく。
束ねる紐は悪魔を追い払ったランジョウ作法したフジの木だ。
棒のままでは紐にはならない。
木の皮を剥いだものを紐にするのだ。
フジの木は柔らかい。
子供でも剥きやすいのだ。
その子供たちが小学校を終えてやってきた。
ランジョウの行為をするのは子供たち。
彼らがいないと始まらない年初の行事であるが2人ではあまりにも不憫だと、世話役をしている杵築神社の座衆や婦人たちも内陣の縁を囲むように座った。
灯明に火を点けて線香をくゆらせると、暗いお堂は荘厳な様相となった。
堂板の隙間からは外の明かりが差し込む。
それがなんともいえない情景である。
学校から帰ってきた2人の子供が揃ってオコナイが始まった。
お堂は真言宗豊山派新福寺、創建はそうとう古い。
今のお堂は元禄年間に建立してから314年も経っていると住職は話す。
住職は長いお経の途中で「ランジョウ」と発した。
それを合図にすばやくフジの木を手にして一斉にフジの木で内陣の縁を叩く。
バチバチバチバチ・・・。
狭いお堂に叩く音が響き渡る。
お経はさらに神名帳へと移り「・・・春日大明神、大和、広瀬、龍田、大神、・・・ダイミョウジュン、ダイミョウジュン、ランジョー」。
カーンと鉦が打ち鳴らされ縁を叩く行為によって村から悪魔が追いはらわれた。
一般的なランジョウは二、三回であるが、何十回も繰り返される。
これは子供たちに対する愛情でもある。
その行為を終えたときだ。
1人の子供がやってきた。
お堂にあがって座ってみれば子供のためだ、追加でもう一回しましょうと住職の好意。
もうこれで終わりだろ思えばさらに2人の子供もやってきた。
学年が違うから学校を出る時間が異なる。
「せっかく来たのだからもう一回してあげよう」と、縁叩きが行われた。
対象の子供は小学生の男の子だった。
少子化で女の子も認めて参加できるようにしてきた。
来年は中学生も参加を認めないと存続が難しくなるという。
「学校教育も地区の伝統行事も大事なことです」と参列したひとのであると口々に話す。
次に本尊の観音さまの牛玉宝印を参列者の頭に押していく。
「オンソワカ」、手を合わせて身体堅固などありがたく受ける。
オコナイといえば御札の宝印。
それは厄除けの御札でもある。
5月初旬作った苗代にお花を飾って挿す。
時期的にはツツジが多い。
赤や桃色に白色も・・・。
色彩がいいこともあって飾っているが、そもそもは「実のならない」花を添えるのだと座衆の長老たちが話す。
この御札は牛頭天王と墨書されている。
「いつのころか判らないが牛玉宝印から牛頭天王に変化したのでは」と住職は話された。
サンヤとも呼ばれるお日待ちがあった。
それは村の総会になっているが、もともとはお日さんがあがるまで夜を過ごす。
朝は8時から翌日までというが実際は三晩。
ニジュウサンヤハン(二十三夜?)でもあった。
今は公民館になっているが当時は区長の家で籠もっていた。
夜の楽しみといえばそれはばくちだったと回想された。
アマテラスオオミカミの掛け図を掲げて般若心経を唱えていた。
ずいぶん前のことだと長老たちは話す。
オコナイの費用は収穫した寺の田から捻出した。
宮さんも田があった。
それらは戦後の農地解放でなくなった。
堤防の草刈りは金になった。
草は堆肥になったので入札したそうだ。
(H23. 3. 3 EOS40D撮影)
それは盆地部ではないと思っていた。
ところが大和郡山市小林町ではそれが今でも行われているというのだ。
小林町内での旧村は20軒ほど。
そのうち15軒が専業農家。
オコナイと呼ばれる初祈祷の御札を挟むのはヤナギの枝だ。
しなりがあるネコヤナギではないという。
というのはオコナイを終えたあとヤナギの枝を折ってしまうのだ。
パキパキと折って4cmぐらいの長さにする。
そのヤナギには御札を挿しやすいように切れ目を入れておく。
束ねる紐は悪魔を追い払ったランジョウ作法したフジの木だ。
棒のままでは紐にはならない。
木の皮を剥いだものを紐にするのだ。
フジの木は柔らかい。
子供でも剥きやすいのだ。
その子供たちが小学校を終えてやってきた。
ランジョウの行為をするのは子供たち。
彼らがいないと始まらない年初の行事であるが2人ではあまりにも不憫だと、世話役をしている杵築神社の座衆や婦人たちも内陣の縁を囲むように座った。
灯明に火を点けて線香をくゆらせると、暗いお堂は荘厳な様相となった。
堂板の隙間からは外の明かりが差し込む。
それがなんともいえない情景である。
学校から帰ってきた2人の子供が揃ってオコナイが始まった。
お堂は真言宗豊山派新福寺、創建はそうとう古い。
今のお堂は元禄年間に建立してから314年も経っていると住職は話す。
住職は長いお経の途中で「ランジョウ」と発した。
それを合図にすばやくフジの木を手にして一斉にフジの木で内陣の縁を叩く。
バチバチバチバチ・・・。
狭いお堂に叩く音が響き渡る。
お経はさらに神名帳へと移り「・・・春日大明神、大和、広瀬、龍田、大神、・・・ダイミョウジュン、ダイミョウジュン、ランジョー」。
カーンと鉦が打ち鳴らされ縁を叩く行為によって村から悪魔が追いはらわれた。
一般的なランジョウは二、三回であるが、何十回も繰り返される。
これは子供たちに対する愛情でもある。
その行為を終えたときだ。
1人の子供がやってきた。
お堂にあがって座ってみれば子供のためだ、追加でもう一回しましょうと住職の好意。
もうこれで終わりだろ思えばさらに2人の子供もやってきた。
学年が違うから学校を出る時間が異なる。
「せっかく来たのだからもう一回してあげよう」と、縁叩きが行われた。
対象の子供は小学生の男の子だった。
少子化で女の子も認めて参加できるようにしてきた。
来年は中学生も参加を認めないと存続が難しくなるという。
「学校教育も地区の伝統行事も大事なことです」と参列したひとのであると口々に話す。
次に本尊の観音さまの牛玉宝印を参列者の頭に押していく。
「オンソワカ」、手を合わせて身体堅固などありがたく受ける。
オコナイといえば御札の宝印。
それは厄除けの御札でもある。
5月初旬作った苗代にお花を飾って挿す。
時期的にはツツジが多い。
赤や桃色に白色も・・・。
色彩がいいこともあって飾っているが、そもそもは「実のならない」花を添えるのだと座衆の長老たちが話す。
この御札は牛頭天王と墨書されている。
「いつのころか判らないが牛玉宝印から牛頭天王に変化したのでは」と住職は話された。
サンヤとも呼ばれるお日待ちがあった。
それは村の総会になっているが、もともとはお日さんがあがるまで夜を過ごす。
朝は8時から翌日までというが実際は三晩。
ニジュウサンヤハン(二十三夜?)でもあった。
今は公民館になっているが当時は区長の家で籠もっていた。
夜の楽しみといえばそれはばくちだったと回想された。
アマテラスオオミカミの掛け図を掲げて般若心経を唱えていた。
ずいぶん前のことだと長老たちは話す。
オコナイの費用は収穫した寺の田から捻出した。
宮さんも田があった。
それらは戦後の農地解放でなくなった。
堤防の草刈りは金になった。
草は堆肥になったので入札したそうだ。
(H23. 3. 3 EOS40D撮影)