マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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井戸野金丸講回り講の営みヤド家

2010年08月06日 07時20分59秒 | 大和郡山市へ
朝、昼、夕方の3回。子供たちが町内を巡って呼び出しの貝吹きをした。

今夜は毎月金丸講の当番の家で営まれる回り講の日だ。

ほぼ地区全戸が大峰山に参拝される行者講の村でもある旧村井戸野。

回り講はおよそ20組。

隣家を入れて3軒で1組としている。

その順番は決められていて、毎月(1月や彼岸は除く)ヤドと呼ばれる当番の家でお勤めがされる。

井戸野の金丸講は大峰さんの八代講の一つとして挙げられている。

八代講を縮めて八講(やっこう)とも呼んでいる。

金丸講の鉢巻姿はつとに有名だそうだ。

ヤドの座敷には行者像が納められた古い形の厨子が置かれ、祭壇が組まれている。

後方には行者像や理源大師などの掛け軸を所狭しに掛けられている。



厨子の前に置かれた屏風の裏面(表は不動明王や行者像)には現大先達の三代前の名が記されている。

60年ほど前に奉られたものだという。

夕方の貝が吹かれた一時間後、先達らや子供たちが集まってくる。

子どもたちを入れておよそ15、6人が集まったそうだ。

お勤めは1時間半ほど。

お下がりをいただいた子どもたちは自転車に乗って夜道を帰っていった。

座敷に残ったのは先達の人たち。

ビールとつまみで後宴の夜会に話が弾む。

「井戸野歴史は古い。講の記録帳は宝暦11年もんがあるし、お寺の涅槃図は相当な年代ものや。銭屋の跡地を掘ったら小判がザクザクやろ」などと次から次へと井戸野の話題が吹き出る。

回り講の営みを終えると行者厨子や掛け軸は次のヤドへ送られる。

回る日は次のヤドが都合のいい日。

決まったらヤドの人が車に乗せて次のヤドの家に運ぶ。

以前は次のヤドが都合のいい日に取りに来ていた。

しかし、半年経っても取りに来ないこともあったので渡しに替えたそうだ。

行者講は近隣の旧村である白土、大江、若槻、稗田、美濃庄、番匠田中、下と上三橋などがあるという。

いずれも行者像を納めた厨子があるらしい。

矢田山のほうでは横山。

市境北部の奈良市石木町にも同じようにあるという。

また、矢田寺の御坊のひとつである念仏院の寺前に行者講の名前が記された標があるという。

大和郡山一帯に亘っていた行者講。

共に同行して大峰山に登ることもあったそうだ。

(H22. 6.27 EOS40D撮影)